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那覇市立図書館(なはしりつとしょかん)は沖縄県那覇市にある市立の公共図書館である。 == 歴史 == 沖縄県では、当時の沖縄県立図書館を含む全ての図書館が第二次世界大戦によって姿を消し〔『九州図書館史』、492頁。〕、戦災から守るため農村部へと避難させていた蔵書までもが焼失した〔『九州図書館史』、491頁。〕。戦後の図書館再建の先駆けとなったのが1947年(昭和22年)に沖縄民政府によって設置された「沖縄中央図書館」である〔『九州図書館史』、494-495頁。〕。これは、戦前最後の沖縄県立図書館長であった城間朝教の働きによるもので〔『九州図書館史』、494頁。〕、設置に際して内地や台湾などへ図書の寄贈を依頼している〔。一方琉球列島米国軍政府も図書館設置に協力し、その仲介で上海から1000冊の和書を譲り受けたが〔『九州図書館史』、495頁。〕、それでも3つの分館(石川、名護、首里)を合わせても2700冊〔と、ごく小規模のものであった。この本館が、那覇市立図書館の起源となっている。 沖縄中央図書館の本館は、沖縄民政府とともに那覇へと移転し〔、市内で学校跡地などを5か所を転々とした〔のち、1951年(昭和26年)に琉球列島米国民政府へ移管〔、場所も那覇の崇元寺跡に移り「情報会館」となった〔。翌1952年(昭和27年)、「那覇琉米文化会館」へ改称〔。なお、石川、名護の分館もそれぞれ独立した琉米文化会館となっている〔(首里分館は首里図書館を経て、現在の県立図書館となった〔)。 那覇琉米文化会館は1960年(昭和35年)頃に一度余儀の新館に移転〔『九州図書館史』、497頁。〕し、さらに1969年(昭和44年)に現在の那覇市立図書館の場所へと新築移転した〔。1972年(昭和47年)には沖縄返還によって那覇市へ委譲、「那覇文化センター」となり〔、3年後の1975年(昭和50年)に教育委員会へ移管、現在の「那覇市立図書館」へと名前を改めて今に至る〔『九州図書館史』、502頁。〕。1980年代には3つの分館を設置〔、現在では6分館を有する。 1996年(平成8年)、移動図書館を含む全館を繋ぐコンピュータネットワークを運用開始〔『図書館年鑑 1997』、59頁。〕。2001年(平成13年)には沖縄県立図書館と共同で「沖縄県図書館総合目録」の運用を開始しており〔『図書館年鑑 2002』、59頁。〕、2008年現在12館(と一部の分館)が参加している〔沖縄県立図書館 - 蔵書検索 〕。また、1999年(平成11年)に蔵書検索が可能なウェブサイトを開設〔『図書館年鑑 2000』、59頁。〕し、2007年(平成19年)にはそこでの予約も可能になった〔『図書館年鑑 2008』、60頁。〕。 琉米文化会館時代から「巡回文庫」として全琉100か所(1969年)ものステーションに資料を貸し出していた〔『九州図書館史』、496頁。〕ほか、「移動文化会館」として各地でさまざまな文化活動を行っていた〔。市立図書館となった翌年1976年(昭和51年)には移動図書館「青空号」による巡回を開始したが、2008年(平成20年)に廃止となった〔『図書館年鑑 2009』、60頁。〕〔移動図書館からのお知らせ 〕〔残して!青空号 那覇市移動図書館 - 琉球新報、2007年11月17日付〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「那覇市立図書館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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