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那覇港(なはこう)は、沖縄県那覇市にある港湾。港湾管理者は沖縄県・那覇市・浦添市が設立する特別地方公共団体(一部事務組合)の那覇港管理組合。港湾法上の重要港湾に指定されており、中核国際港湾にも指定されている。また、港則法上の特定港である。 沖縄県の玄関口として国際コンテナ航路を含む50以上の航路を持ち、40以上の島々の経済活動を支えている港。2001年度(平成13年度)における取扱貨物量は外国貨物が120万トン、内国貨物850万トンで合計970万トンの貨物を扱っている。 米軍にだけ恩典を与えるガントリークレーン料金引き下げ問題などが議員から次々と指摘された。米軍関係貨物が大半を占めるにもかかわらずクレーン使用料を引き下げるのは、米軍への「思いやり」を増すだけで。 ==歴史== 琉球時代の15世紀ごろからアジア諸国の交易がさかんになり、安里川河口の泊港、および国場川河口北岸の那覇港は交易の拠点として発展してきた。近代以降は河口の南岸にも港湾が拡大した。 * 1907年(明治40年) - 本格的な湾岸工事を着手。 * 1915年(大正4年) - 1200トン級の船舶3隻が同時に係留可能となる。 * 1941年(昭和16年)頃 - 数回の拡張工事により、4500トン級1隻、2000トン級3隻が同時接岸できるようになった。 * 1944年(昭和19年) - 米軍の空襲(十・十空襲等)により、那覇港は使用不能となる。 *第二次世界大戦後 那覇、泊港は米軍による大幅な改修工事は行われ、那覇港は20000トン級、泊港は3000トン級の船舶が係留可能となる。 * 1954年(昭和29年) - 那覇港が当時の琉球政府に、泊港が那覇市に返還され、それぞれ管理運営される。国場川南岸の住吉・垣花地区はこれ以後も米軍那覇軍港(那覇港湾施設)となっており、住民は不在である。 * 1965年(昭和40年)頃 - 沖縄本島の復興が進み、現在の港では対応できなくなってくる。そのため、安謝地先に新港の開発計画が進められる。 * 1969年(昭和44年) - 新港の工事着工 * 1971年(昭和46年) - 水深7.5m岸壁3バース、水深6.0m岸壁1バースがそれぞれ完成する。 * 1972年(昭和47年) - 那覇港北岸、泊港、新港を那覇市が管理するようになり、3港を一元化し那覇港は重要港湾の指定を受ける。 * 2002年(平成14年) - 那覇港管理組合が設立。港湾管理者が従来の那覇市から沖縄県・那覇市・浦添市出資の一部事務組合に移管される。 * 2006年(平成18年) - フィリピンと地元企業の合弁会社「那覇国際コンテナターミナル(NICTI)」が構造改革特区に基づき新港埠頭公共コンテナターミナルの運営業務を開始。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「那覇港」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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