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那須 正幹(なすまさもと、1942年6月6日- )は、日本の児童文学作家。広島県広島市己斐(こい)(現・西区己斐本町)出身〔それいけ!ズッコケ三人組ホームページ - ポプラ社 〕。代表作は「ズッコケ三人組」シリーズ。現在は山口県防府市に在住。 == 来歴・人物 == === 生い立ち === 1945年8月6日、広島市庚午北町(現・西区)〔 『郷土の本』 - 中国新聞 2015年8月2日 15ページ〕の自宅で母親の背におぶさって被爆〔。4歳の頃、近所に住んでいた新延輝雄の家に遊びに行き、「インテリぼうや」という渾名を貰ったことがある〔那須正幹『少年のブルース』巻末解説(竹田まゆみ「作者と作品について」)pp.232-233(偕成社、1978年)〕。 1949年広島市立己斐小学校入学。クラスの3分の1は被爆して親のない子もいた。進学した広島市立庚午中学校は、当時荒れて教師による体罰は日常茶飯事、卒業式にはパトカーが待機した〔。しかし文学の世界に興味を持つようになったのは、中三の時の予科練あがりの型破りな教師の影響という〔不良も慕った型破り…児童文学作家 那須正幹さん 〕。 幼少の頃から本を読むより外で遊ぶ方が好きな少年だった〔ただし小学校から中学校を通じての友人による「那須君は小学生時代から詩人を夢見ていた。卒業時の文集にちゃんとそう書いている」という証言もある(大平泰「那須君はナスビだった」─『ズッコケ三人組の大研究II』p.235。ポプラ社、2000年)。〕。特に熱中したのが昆虫採集で、これがもとで当時生物クラブが盛んだった広島市立基町高等学校に進学〔。この高校で後年発表する『ズッコケ三人組シリーズ』に登場する宅和源太郎先生のモデルになる教師と出会う(ちなみにその教師は、後に有名になった歌手・松田聖子の親戚であった)。 同校卒業後、島根農科大学(現:島根大学生物資源科学部)林学科に進学し森林昆虫学を専攻した〔。卒業論文のテーマは『マツノシンクイムシの天敵防禦』。大学在学中は友人に誘われて山岳部に所属し、1年のうち100日くらいを山で過ごしたことや北海道の摩周湖で泳いだこともあった。また山岳部に所属していたことが就職活動の面接で話題になり、大学卒業後に上京して自動車のセールスマンになるきっかけとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「那須正幹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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