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那須資之 #那須氏3代当主。 #那須氏12代当主。 == 那須資之(三代当主) == 那須 資之(なす すけゆき、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、那須氏3代当主。初代当主那須資隆の五男。福原資広・女子(那須頼資妻)の父。那須光資の祖父。初名は之隆。通称は五郎。屋島の戦いで扇の的を射落としたとされる那須与一は弟に当たる。 治承・寿永の乱の際は平氏方に味方したため、那須氏本家は源氏方に味方した弟の与一(宗隆、後に資隆)が継いだ。資之ら与一の兄達は初め敵対したがのちに帰順し与一から所領を与えられた。後に与一が子がないまま出家したため、資之が那須氏の跡を継いで当主となった。息子資広は兄の福原久隆の養子となっていたため跡継ぎがなく、継承時期は不明だが那須頼資(宇都宮朝綱の子、または初代資隆と朝綱娘との庶子)に娘を娶わせて跡を継がせている。 ---- 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「那須資之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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