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那須資村[なす すけむら] 那須 資村(なす すけむら、建久元年(1190年)? - 文永5年(1268年)?)は鎌倉時代の人物。下野那須氏六代当主。五代当主那須光資の子。七代当主那須資家、沢村資祗の父。肥前守。太郎。 念仏宗に帰依し、親鸞上人の弟子となり信願房教念と号し、貞応2年(1223年)に慈願寺を創設した。78歳の長寿を保ったという。 ただし、近年の異説として那須氏の家督は光資の後はその弟の那須資長およびその系統が継承したために資村は家督を継ぐことが出来ず(鎌倉幕府の記録に資村の名前が登場しない)、資家の代になって北条得宗家との関係から家督を回復したとする説もある〔山本隆志「白河結城家文書のなかの那須文書」(初出:村井章介 編『中世東国武家文書の研究』(高志書院、2008年)/改題所収「関東御家人那須家の成立と東・西での展開」山本『東国における武士勢力の成立と発展』(思文閣出版、2012年) ISBN 978-4-7842-1601-7〕。 == 脚注 == 〔
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