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那須 資藤(なす すけふじ、生年不詳 - 文和4年/正平10年(1355年))は、南北朝時代の人物。下野那須氏9代当主。備前守。8代当主那須資忠の子。 == 生涯 == 南北朝の騒乱の際には北朝に味方した。観応の擾乱が勃発すると足利尊氏方につき転戦したが、文和4年(1355年)、足利直冬との戦いで弟蘆野資方(蘆野氏の祖)達とともに戦死している。家督は子の資世が継いだ。 資藤の子の代から金丸氏、金枝氏、小滝氏などが派生している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「那須資藤」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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