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那須 資親(なす すけちか、生年不詳 - 永正11年(1514年)?)は室町時代から戦国時代の武将。下野の戦国大名上那須氏当主。那須氏資の子、那須明資の弟。女子(宇都宮成綱妻)、女子(那須資永妻)、那須資久の父。大膳大夫。 下野国の大半、常陸国の一部と急激に勢力拡大している戦国大名宇都宮氏の当主成綱と婚姻関係を結び、また南陸奥の白河結城氏から当主政朝の子である資永を養子に迎え後継者とすることで上那須家の地位の安泰化を図った。しかし、晩年に実子の資久が誕生したことがきっかけに後継者争いが勃発し、資親の死後まもなく上那須家は断絶、滅亡することになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「那須資親」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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