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邦枝完二 : ミニ英和和英辞書
邦枝完二[くにえだ かんじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほう, くに]
 (n) country
: [かん]
 【名詞】 1. The End (book, film, etc.) 2. Finis
: [に]
  1. (num) two 

邦枝完二 : ウィキペディア日本語版
邦枝完二[くにえだ かんじ]

邦枝 完二(くにえだ かんじ、1892年12月28日 - 1956年8月2日)は日本の小説家東京市麹町区(現・千代田区)出身。本名・邦枝 莞爾。雅号・双竹亭竹水。戸籍上の誕生日は1893年1月1日
== 略歴 ==
1892年(明治25年)12月28日東京麹町生れ。祖父は300石取りの幕臣、父〔養父の国枝幸之輔のこと。知恵幸と呼ばれた幸之輔は紀州家の馬役をつとめており、山県有朋が頼み込んで譲り受け抱えたという。〕は馬術に長じていたという。母方の叔父〔養母のキンの実家、多湖梅吉のこと。祖父という説もあり。〕が浮世絵収集や江戸戯作者を好む通人であったところから、少年時代からその影響を受ける。麹町小学校を経て商工中学校卒業後、慶應義塾大学予科、東京外国語学校に籍を置いたことになっているが、学生とは名ばかりで、創作に熱心であった。在学中から永井荷風に私淑し、荷風の推薦で処女作『廓の子』が雑誌「三田文学」に掲載された。その後も同誌その他に作品を発表した。同時に「三田文学」の編集に携わった。慶應を中退し、時事新報記者を経て1920年(大正9年)帝国劇場文芸部に入り、戯曲集『邪劇集』『異教徒の兄弟』を著す。1923年(大正12年)から文筆に専念。1928年(昭和3年)発表の『東洲斎写楽』をはじめ、『歌麿』(のち『歌麿をめぐる女達』に改題)『おせん』『お伝地獄』『浮名三味線』といった新聞小説を次々に発表し、江戸情緒豊かな官能美の世界を描く時代風俗小説家として、広く名を知られるに至った。また、多くの作品が映画化されている。戦前、平河町および下二番町(現・二番町)に居住。長女木村梢はエッセイストとして、番町界隈の当時の時代風俗を著書『東京山の手昔がたり』にあらわしている。
1940年(昭和15年)1月20日藤沢市鵠沼に転居、後半生をこの地に過ごした。戦時中は日本精工藤沢工場の工員慰安のため歌舞伎を上演したり、終戦直後は隣家の林達夫らと「湘南文庫」「鵠沼自由大学」を開催するなど、地元文化向上に貢献した。戦後も1950年(昭和25年)の『東京一代女』、翌年の『千姫』など多くの佳作を発表した。また、1954年(昭和29年)、母校麹町小学校が創立80周年を記念して制定した校歌『暁の空』を作詞している(作曲・柴田知常。合併に伴い、現在は歌われていない)。1956年(昭和31年)8月2日、膵臓癌で死去した。享年64、墓所:多磨霊園
長女梢は映画女優で、1948年(昭和23年)4月1日俳優の木村功と結婚し、同年11月から1954年(昭和29年)10月まで鵠沼の実家で新婚生活を送った。現在は女優を引退し、随筆家として知られている。
次女クニエダヤスエは、日本のテーブルコーディネーターの草分け。
なお、和歌山県西牟婁郡白浜町平草原には邦枝完二句碑(三色の句碑)「黒潮や梅紅白の散るところ」が建立されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「邦枝完二」の詳細全文を読む




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