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邨岡良弼 : ミニ英和和英辞書
邨岡良弼[むらおか りょうすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [りょう]
 【名詞】 1. good 

邨岡良弼 : ウィキペディア日本語版
邨岡良弼[むらおか りょうすけ]
邨岡良弼(むらおか りょうすけ、 弘化2年2月10日1845年3月17日) - 大正6年(1917年1月4日)は明治時代の法制官僚、法制史学者、歴史学者。幼名は五郎。字は賚卿。号は櫟斎。旧姓は渋谷氏、本姓は平氏正七位
== 生涯 ==
弘化2年2月10日(1845年3月17日)、下総国香取郡北中村(千葉県多古町北中)の名家渋谷義孝と勝間田氏の間に生まれた。幼くして宗家匡道に四書五経を学び、安政5年(1858年)江戸に出て昌平坂学問所水本成美に学問を学び、一橋家侍臣鈴木清𠘕に書道を学んだ。明治2年(1869年)、大学校明法科で律令を学んだ。
明治2年11月退学し、大学少博士岡松甕谷私塾に仮寓し、刑部省新律綱領の策定に携わった。明治4年(1871年)、水本成美の紹介で中博士箕作麟祥私塾でフランス法を学んだ。明治4年(1872年)9月、フランス法教育機関として司法省に設置された明法寮の修志局長に就任し、『刑法沿革志』を編纂した。明治5年(1873年)には改定律例編修に関わった。
明治7年(1874年)1月、長崎裁判所開設に伴い長崎に赴任し法官となった。この間長崎の国学者池原日南に和歌和文を学んだ。明治8年(1873年)司法省で刑法編修に携わった。辻高節に音律、琵琶を習った。後に明治26年(1893年)大曲伝授を受けた。
明治12年(1879年)7月司法省法制局、明治13年(1880年)3月太政官法制部、明治14年(1881年)12月参事院法制部に転じた。明治16年(1883年)2月、岩倉具視明治憲法起草に際し宮内省に設置した国史編修局に入局し、『大政紀要』の編纂に参画した。明治17年(1884年)2月図書寮で『図書寮記録』を編纂した。明治20年(1887年)内閣記録局長に就任し、『法規分類大全』編纂を主導した。瑞宝章を賜る。明治20年5月、『如蘭社話』を創刊した。
明治25年(1892年)6月、官職を退き、著述に専念した。明治27年(1894年)、栗田寛の推挙で、旧水戸藩徳川篤敬水戸光圀大日本史』国郡志、諸表の纂訂を委嘱された。大正2年(1913年)7月、『続日本後紀纂詁』に対し帝国学士院より恩賜賞を受賞した。
大正6年(1917年)1月4日、東京市小石川区高田老松町(東京都文京区目白台)の自宅で死去した。1月7日染井斎場にて神葬祭が行われ、染井霊園に葬られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「邨岡良弼」の詳細全文を読む




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