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郁久閭皇后(いくきゅうりょこうごう、525年 - 540年)は、西魏の文帝の皇后。柔然の出身。 == 経歴 == 柔然の阿那瓌の長女として生まれた。容色は端厳と評され、知恵を持っていた。 大統初年、柔然がたびたび西魏の北辺を侵犯したため、文帝は柔然と盟約を結び、通婚を約束した。西魏の扶風王元孚が彼女を迎える使者として立った。元孚が南面を請うたが、彼女は「わたしは魏主にまみえていないのだから、柔然の娘である。魏の武官が南に向き、わたし自らは東面しよう」と答えた。 538年(大統4年)1月、長安に入った。3月、皇后に立てられた。540年(大統6年)、懐妊し、難産が祟って死去した。享年は16。少陵原に葬られた。551年(大統17年)、永陵に合葬された。悼皇后と諡された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「郁久閭皇后」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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