|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 郡 : [ぐん] 【名詞】 1. country 2. district ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 二 : [に] 1. (num) two
郡山 久二(こおりやま ひさじ、1964年7月29日 - )は、元競輪選手。大阪府大阪市出身〔郡山久二選手が現役引退へ - 日刊スポーツ 2014年5月8日9時21分〕。日本競輪学校第55期卒業。現役時は日本競輪選手会大阪支部に所属。 == 戦績 == 大阪府立城東工業高等学校を経て日本競輪学校に第55期生として入学。在学中に名誉教官の松本勝明から後の師匠となる山野憲一(長野・41期)を紹介され弟子となっている。同期には鈴木誠、清家孝志らがおり、在校成績14位で卒業。1985年5月2日にホームバンクの岸和田競輪場でデビュー戦を迎え5着。初勝利は同年6月15日の川崎競輪場。 1989年、日本選手権競輪(花月園競輪場)において、特別競輪(現在のGI)の決勝に初めて進出し8着。続く高松宮杯競輪でも決勝に駒を進め、優勝の滝澤正光を直線で鋭く追い詰め2着に入った。これらの実績により賞金上位枠で同年のKEIRINグランプリに出場予定だったが中止となってしまった。 1991年の共同通信社杯・ルビーカップレース(平塚競輪場)では、逃げる坂本勉をゴール直前交わして優勝。2001年のふるさとダービー(武雄競輪場)決勝戦では、ゴール直前に横田努(2着失格)を交わし優勝している。 他にも1990年の全日本選抜競輪(青森競輪場)決勝4着、1991年の全日本選抜競輪(久留米競輪場)決勝3着および全日本競輪王戦決勝8着、1999年の高松宮記念杯競輪決勝7着といった成績を残すなどS級での活躍を続けていた。 しかし2014年3月25日の岸和田競輪場第10R・S級予選で落車し、その後競走から離れていたが、そのまま引退することを発表〔し、5月16日に地元の岸和田競輪場で引退セレモニーが行われた。 同年6月24日にS級2班在位のまま選手登録消除。通算成績2384戦348勝。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「郡山久二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|