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ATi郡山(アティこおりやま)は、福島県郡山市のJR郡山駅西口近くにあるファッションビル。 かつて、西友郡山西武店(郡山西武)が出店していたビルを、閉店後に所有者の東邦精麦(現:TOHOピクス)がファッションビルとしてオープンさせたものである。 == 概要 == === 西友郡山店→郡山西武 === 東邦精麦が、東北新幹線開業も踏まえて郡山市駅前一丁目の敷地を再開発する形で「東邦精麦郡山駅前ビル」を建設。その際に西武流通グループの中核会社であった西友ストアー(現:西友)をビルのキーテナントとして誘致し〔1975年9月6日 『福島民報』(福島民報社)朝刊2面(東邦製麦郡山駅前ビル落成記念による別刷り)。〕、1975年(昭和50年)9月に西友郡山店として開店。西武流通グループとしては、東北初進出となり〔1982年に、ams西武仙台店が開店するまでは、東北唯一の西武流通グループの店舗だった。〕、西友ストアーとしてはGMS店舗ではなく"百貨店スタイル"の店舗だった〔「郡山の商戦 一段と激化『「西友」、大型店のトップ切り開店』」1975年9月9日 『福島民報』(福島民報社)夕刊1面。〕。 しかし、ビル建設直前である1973年(昭和48年)10月に大規模小売店舗法が施行された影響で、郡山市の商業活動調整協議会(商調協)によって売場面積を36.12%カットされ、一部階が空きフロアの状態での開店となってしまった〔。しかし翌年、商調協からカットされた売場面積の半分の増床が認められたため、これを機に11月に西友郡山西武店として業態転換した〔「『郡山西武』が開店 "視察組"などでにぎわう」『福島民報』(福島民報社)1976年11月7日、朝刊14面。 〕。 1975年(昭和50年)11月には、郡山市内には既存の商業施設のうすい百貨店(当時は「第1うすい」と「第2うすい」の2館体制)や、丸光、津野本店〔創業時は呉服店として創業し、後に大町一丁目にて百貨店として営業した。1987年(昭和62年)の閉店後に解体され、現在はホテルリッチフィールド郡山となっている。〕、当時郡山市中町にあったイトーヨーカドーに加え、丸井とダイエーが同時期に進出し、新幹線開業を目前に競争が激化すると同時に、郡山駅から徒歩0分という立地に、西武百貨店のブランド力を生かした店舗として、東北地方の仙台市や盛岡市の3大都市圏と並び、福島県の経済の中心地である郡山市を代表する商業施設として君臨した。 しかし、バブル崩壊を前後として、郡山市郊外には多くの住宅地や幹線道路が建設されると、ヨークベニマルなどといった商業施設が進出した。 郡山駅前周辺では、イトーヨーカドーが、1988年(昭和63年)1月に閉店し、翌年6月に市内西ノ内に移転。 1980年(昭和55年)1月には丸光、1987年(昭和62年)には津野、更には1994年(平成6年)11月にはダイエーから転換したトポスが撤退した。 郡山西武店も、1991年(平成3年)度に約170億円の売上をピークに売上が下落、また駐車場も駅前周辺に分散していたために郊外型商業施設に苦戦し始める〔「西武閉店は10月9日 新SCに営業展開集約 西友が正式発表」『福島民友』(福島民友新聞) 2000年6月2日、朝刊1面。〕。そこに追い打ちをかけるようにうすいが、中町再開発ビルの核店舗として東北最大規模の売場面積を持つ都市型百貨店タイプの新店舗を開店したこともあり、1999年度の下半期の売上が初の赤字を記録〔「リポート 市街地活性化に痛手「郡山西武」閉店の波紋」『福島民報』(福島民報社) 2000年6月16日、朝刊。〕。また、西友側も、傘下のノンバンク「東京シティファイナンス」が多額の不良債権処理に伴う店舗整理や、西武百貨店と区別の付きにくかった「西武」の名称の付いた店舗を「LIVIN」(リヴィン)へ改称させる政策を進めており、着工が遅れていた市内長者の日東紡郡山工場跡地への「ザ・モール郡山」も2000年(平成12年)1月に起工〔福島民報 2000年1月22日「経済県都の商戦 一層激化へ 大型ショッピングセンター 「ザ・モール郡山」起工」より 〕、そして開業する目処が立ったこともあり、同年6月に郡山駅西口再開発ビル「ビッグアイ」完成を目前に郡山西武店の閉店を表明。同年10月15日をもって閉店した〔「郡山西武 25年間の歴史に幕 買い物客、閉店惜しむ声」『福島民友』(福島民友新聞) 2000年10月16日、朝刊〕。 当初は、ザ・モールとの2店舗営業の予定であったが翻意し、事実上ザ・モールへ移転する形となった〔同様の事象は、米沢サティや一関サティの開業時にも発生している。〕。 2000年9月までに、前橋西武店、水戸西武店、上田西武店の3店が、リヴィンへと改称したため、この郡山西武店の閉店をもって、西友が運営する「西武」名義の百貨店型店舗が消滅した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Ati郡山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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