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部落問題(ぶらくもんだい)は、差別に関する、日本の人権問題、利権問題を含む社会問題の一つである。 == 概要 == 元来中世から近世を通して存在した賤民問題を処理するために明治政府は、維新後の改革の一つとして新しい社会階級制度の中に「新平民」を設けた。明治・大正・昭和と時代を経て、新平民の暮らしにおける諸問題は、表面化し社会問題となる。第二次世界大戦後の新憲法における基本的人権の尊重の概念により、皇室を特別として、社会階級制度が消失した後も、多くの課題が残る。現在では、社会問題に対処するために部落団体・政府・地方自治体などが主張・提訴・改善・解決しようと取組む課題の総称となっている。政治的・法的・因習文化的な諸問題を多く含む社会問題であり、現代では世系差別と地域に対する差別を同和問題という。 == 「部落」の概念 == 「部落」は本来「集落」の意味であるが、歴史的にエタ村あるいはエタ(穢多)と称された賤民の集落や地域を、行政が福祉の客体として「被差別部落民(略して部落民)」などと呼んだことから、特に西日本では被差別部落を略した呼び名として定着した。2011年3月4日に第68回全国大会で決定された部落解放同盟綱領では、「部落民とは、歴史的・社会的に形成された被差別部落に現在居住しているかあるいは過去に居住していたという事実などによって、部落差別をうける可能性をもつ人の総称である。被差別部落とは、身分・職業・居住が固定された前近代に穢多・非人などと呼称されたあらゆる被差別民の居住集落に歴史的根拠と関連をもつ現在の被差別地域である」と定義されている〔部落解放同盟綱領 〕。ただし、その一方で『部落問題事典』(解放出版社、1986年)では「部落民とみなされる人、あるいは自ら部落民とみなす人を部落民という。この同義反復的なことでしか、部落民を定義することはできない」(野口道彦)とも述べられており、「被差別部落」や「被差別部落民」を定義する方法がないことも指摘されている〔筒井功『新・忘れられた日本人』p.91。〕。また、被差別部落には穢多や非人に起源をもつもののほか、夙、鉢屋衆、きよめなど多種多様な起源をもつものがある(雑種賎民)。静岡県では院内という民間陰陽師がもともと被差別民ではなかったところ、明治初期に陰陽師廃止令が発布されたために失職し貧困化して被差別民と同一視されるようになった例が報告されている〔*静岡県 - 部落問題・人権事典 - 部落解放・人権研究所 〕。また、山窩の集住地を同和対策事業の対象とした自治体もごく少数ある〔筒井功『新・忘れられた日本人』p.92。〕。 被差別部落の居住者は先祖代々同じ血筋で固定されたものと考えられることが多いが、これは間違いで、歴史的には被差別部落で財をなし成功した者が被差別部落の外へ流出すると同時に、被差別部落の外で食い詰めた犯罪人や無職者が生活費の安い被差別部落の中へ流入することが繰り返されてきた〔 山本尚友「部落=貧困の再検討」(『部落の過去・現在・そして…』所収、阿吽社、1991年)〕。京都市内のある部落では、京都部落史研究所の調査の結果、半数を超える「部落民」が部落外からの流入者と判明したこともある〔。1937年に京都市社会課が市内の8箇所の部落を対象に行った「京都市における不良住宅地区調査」では、「部落民」のほぼ半数が外部からの流入者と特定された〔。また、植民地時代の朝鮮半島から内地に渡った朝鮮人が被差別部落に住み着いた例も多く、日本の総人口に在日コリアンが占める割合は1パーセントに満たないところ、大阪市のある同和地区では住民の13.8パーセントを在日コリアンが占めている〔角岡伸彦『ピストルと荊冠』p.29〕。ただし、同和地区内に住む外国人は属地属人主義により同和事業の対象とはならない〔こぺる編集部編『部落の過去・現在・そして…』所収 灘本昌久「不利益=差別の再検討」p.53(阿吽社、1991年)〕。 また、部落解放同盟や同和会が同和予算を行政から獲得するため、同特法のいう「歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域」(被差別部落)が存在しない自治体にまで無理やり同和地区を作った事例もある(このような地区は「えせ同和地区」と呼ばれる〔中原京三『追跡・えせ同和行為』p.106-110〕)。1976年7月には、もともと被差別部落が存在しない宮崎県児湯郡都農町に同和会が結成され、これに伴って同和会が都農町の一部を同和地区指定させ、支部助成金など同和予算495万円の計上を約束させた〔。1976年9月の町議会は同和予算を全額削除したが、宮崎県同和対策室の圧力で最終的に1地区(9世帯、30人)が同和地区として認定させられた〔。こうして宮崎県では9市9町に36カ所の同和地区が指定されることとなったが、全解連書記長の村尻勝信によると、その3分の1は「えせ同和地区」であるという〔。大分県でも同和予算目当ての「でっち上げ同和地区」「ニセ同和地区」の存在が報告されている〔西郡ひとし事務所 〕。 同対法施行当時は、個人施策の受給と同和住宅入居を目的として部落解放同盟支部長に認定料を渡し、部落民として認定を受ける「駆け込み部落民」の存在も指摘された〔瀬川負太郎『部落問題の状況 糾弾、土地転がしの総決算』p.309(小倉タイムス、1985年)〕。被差別部落民の定義が曖昧であるため、東京都では、自称部落民が部落差別と無関係の傷痕を「被差別部落に生まれたために虐められた痕跡」と偽って同和対策事業の個人給付を申請したケースも報告されている〔朝日新聞社会部『土地ころがし』p.87-89(葦書房、1982年)〕。また、同じ東京都では、ある団体の168人の自称部落民から生業資金貸付申請があったが、最終的に部落民と認められたのは2人だけだったこともある〔。 被差別部落と被差別部落民の総数について、1946年の部落解放人民大会で採択された宣言では「全国に散在する6000部落300万の兄弟諸君」と呼びかけているが、1965年の同和対策審議会答申では、日本全国の同和地区数を4160、同和地区人口を111万3043人と述べている。 1982年の調査では、同和地区数は北海道と東北と沖縄でゼロ、関東で609、中部で345、近畿で1004、中国で1061、四国で676、九州で868とされているが、東北六県にも未指定地区があることは常識となっており〔筒井功『新・忘れられた日本人』p.90。〕、平野小剣のように東北の被差別部落から出た水平運動家もいた。なお、被差別部落の最南端は種子島とされている〔高本力『増補新版 部落の源流』p.18〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「部落問題」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Burakumin 」があります。 スポンサード リンク
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