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郭 威(かく い)は五代後周の初代皇帝。 ==出生== 堯山(河北省隆堯県)出身。父郭簡は、晋王・李克用の時代に刺史に任じられる高官であったが、郭威が幼少の頃、戦争に巻き込まれて戦死したために家門は没落した。加藤徹は郭威が漢化した突厥沙陀部出身と推測している。また、岡田英弘も郭威が生粋の漢民族なのか懐疑を示している。 成長した郭威は、一兵卒から立身して、劉知遠にその才能を見出され重臣となった。劉知遠が後漢を建国するに際し大功を挙げ、枢密副使にまで昇進している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「郭威」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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