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郭 宗熙(かく そうき)は中華民国・満州国の政治家。北京政府・奉天派の政治家で、後に満州国に参加している。字は桐柏、詗柏。 == 事跡 == 清の進士。日本に留学し、法政大学を卒業した。帰国後に翰林院庶吉士となる。さらに長沙府中学堂監督、奉天森林学堂監督、琿春副都統署理、吉林東南路兵備道、同西北路兵備道、浜江道監督を歴任した。〔徐主編(2007)、1270頁。〕 中華民国成立後の1913年(民国2年)1月、吉林提学使に任命され、まもなく同省教育司司長に改めて任ぜられた。翌年7月、吉長道尹に異動する。1916年(民国5年)4月、護理吉林巡按使となる。翌年11月、正式に巡按使に任ぜられた。1919年(民国8年)10月、罷免され、いったん天津に隠居する。〔 1925年(民国14年)、江蘇督弁楊宇霆の秘書長として復帰する。楊が江蘇省を追われると、郭宗熙は山東督弁張宗昌の下で参賛に任ぜられた。1927年(民国16年)8月から翌1928年(民国17年)5月まで京師図書館(現・中国国家図書館)館長を務め、さらに中東鉄路督弁にも任ぜられている。〔中国国家図書館ホームページ。〕張が国民革命軍の北伐に敗北して下野すると、郭もまた天津に引きこもった。〔徐主編(2007)、1270-1271頁。〕 1934年(康徳元年)3月、満州国では愛新覚羅溥儀が皇帝に即位し、満州帝国となる。このとき、初代尚書府大臣に郭宗熙が任命された。同年12月29日、在任中のまま郭宗熙は肝癌のため死去した。〔「郭満洲國尚書府大臣逝く」『東京朝日新聞』1934年12月31日。〕享年57。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「郭宗熙」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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