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郭 聖通(かく せいつう)は、後漢の初代皇帝光武帝(劉秀)の皇后。諡は武、光武郭皇后。冀州真定国稾県の人。 == 事跡 == === 光武帝の皇后となる === 真定国の名族の生まれである。父の郭昌は、巨大な田宅財産を異母弟に譲り、国人から義とされた。郭昌は真定恭王劉普の娘を娶り(以後、普の娘は郭主と号す)、娘の聖通と子の況が生まれた。郭昌は早くに死去している。姉弟は郭主によって養育された。 更始2年(24年)春、劉秀は河北の王郎討伐の途中に真定に立ち寄り、この時、郭聖通を娶った。これは、劉秀が郭聖通の叔父・劉楊(劉揚)との関係を強化しようと目論んだことも動機である。光武帝として即位すると、郭聖通は貴人として立てられた。 建武元年(25年)、郭聖通は皇子彊を生んだ。また、当時16歳であった弟の郭況も黄門侍郎として登用されている。翌建武2年(26年)、郭聖通は皇后に、劉彊が皇太子に、それぞれ立てられた。なお同年には、真定王劉楊が謀反を企んだとして、光武帝の命を受けた前将軍耿純により誅殺されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「郭聖通」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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