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郭 茂林(かく もりん、Kaku Mo-rin, 1920年 - 2012年4月7日)は、台湾生まれで日本へ帰化した〔東アジア100年の歴史がわかる国、台湾――もう一つの漢字圏 台湾の文学 (前編) 〕建築家。建築研究者。 KMG(Kaku Morin Group)設計事務所を創設して日本初の高層ビルである霞が関ビルディングから新宿の超高層ビル群、母国台湾の超高層ビルや都市計画に携わる。近年彼をテーマにしたドキュメンタリー映画「巨塔の男 - 郭茂林」が制作された。 == 来歴 == 台北市で生まれ、日本式の教育を受けた。日本統治時代の台北州立台北工業学校(戦後に台北工業専門学校、現・国立台北科技大学)を1940年に卒業する。学業成績優秀のため、台北工業学校校長で担任の千々岩助太郎の紹介により、日本本土の東京帝国大学工学部建築学科に聴講生・助手として奉職。終戦後に日本国籍を取り、岸田日出刀研究室に在籍。以降吉武泰水らと、戦後しばらくは建築計画学の研究に勤しむ。 1968年に完成する霞が関ビル(三井不動産、施工は鹿島建設、日本建築学会技術支援)ではグループ全体の統率を担当するため、霞が関三井グループ(KMG)企画室室長に就任。霞が関ビル建設にあたり、三井不動産・鹿島建設・日本建築学会のコーディネーター役を務める。ビル完成後、建築設計事務所・郭茂林グループ(KMG)を設立。 その後新宿副都心の超高層ビル街の構想・設計では新宿新都心開発協議会主査を務め、さらに浜松町の世界貿易センタービル (東京) 、池袋のサンシャインシティの構想・設計に関与する。その間、地下工法や鉄骨組等日本の技術を逐次台湾に伝えるべく、台湾の高層ビル建設にもすべて関与する。 2007年、華光奨受勲。 2012年4月7日に急性腎不全のため死去〔建築家の郭茂林さんが死去 日本経済新聞 2012年4月10日閲覧。〕。 2012年10月、酒井充子監督のドキュメンタリー映画「空を拓く〜建築家・郭茂林という男」が東京国際映画祭で上映された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「郭茂林」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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