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郭靖(かくせい、)は、金庸の武俠小説、射鵰三部作に登場する人物。『射鵰英雄伝』では主役。名前の「靖」は義兄弟の楊康とともに靖康の変にちなんで丘処機によって名づけられた。 生年は作中では慶元6年(1200年)となっているが、史実と郭靖の年齢を照合すると、様々な点で矛盾が生じてしまう。そのため、年号はあくまで目安。没年は襄陽の陥落と一致するので、1273年。 武術に優れ、義俠心に厚いながらも敵・味方、あげく親族からすら愚鈍・馬鹿と評価されており、非常に間の抜けたところが目立つ。そのため、知恵者の黄蓉が郭靖のブレーンを勤めていた。ただ、中年期以降は落ち着きも見られ、特に対モンゴル戦で活躍。誰からも尊敬される人物となり大俠と呼ばれるようになった大器晩成型の人物。なお、水滸伝に登場する郭盛の子孫という設定になっている。 == 略歴 == === 射鵰英雄伝 === 金の軍隊により、父・郭嘯天が殺害されてしまったことにより、郭靖を身ごもっていた母・李萍はモンゴルへ逃れた。郭靖はモンゴルでチンギス・ハーンの庇護を受けて成長。幼年期に、全真教の丘処機との約束に基づいて中原からやってきた江南七怪に武術を教わる。郭靖は想像を絶するほど愚鈍であり、その人間離れした物覚えの悪さから、武術の才能を全く示さなかったため江南七怪を絶望の淵に追い込んだ。しかし、そうとは知らずに全真教の内功を身に付けたころから、徐々に実力をつけ始めた。 中原に来てからは父同士が義兄弟だったことから楊康と義兄弟になり、また黄蓉と恋仲になる。数々の冒険の後、郭靖は成長を重ね、洪七公からは降龍十八掌を、周伯通から九陰真経などの絶技を習得する。ただ、射鵰英雄伝においては洪七公や欧陽鋒ら天下五絶と呼ばれた達人たちには及ばなかった。 物語後半、再びモンゴルへ帰ると、チンギス・ハーンのもと金を倒すためサマルカンドへ遠征などで手柄を立てる。だが、モンゴルが宋をも侵略しようとしていると知るとチンギス・ハーンの下を去る。なお、終盤では郭靖がチンギス・ハーンと議論するシーンがあるが、これはチンギス・ハーンを毛沢東になぞらえて批判しているようにも読めるという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「郭靖」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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