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郵船ビルディング(ゆうせんビルディング)は、東京都千代田区丸の内二丁目にある建築物である。ここではかつて存在した同名の建築物についても記す。 == 初代 == === 歴史 === 日本郵船会社により新社屋として計画され、同社は用地として1917年(大正6年)10月、1,410.45坪の敷地を三菱合資会社より賃借しその建設を図った〔『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 上巻、238頁〕。 そしてパリ講和会議の際、日本政府の代表委員の1人であった、当時の日本郵船社長近藤廉平が航路途中のニューヨークで、1919年(大正8年)2月に米国・フラー社の社長ポール・スターレットと会見した際、郵船ビルの施工をフラー社に依頼し、契約が締結された〔『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 上巻、236頁-238頁〕。その後、米国・フラー社と三菱合資会社との合弁会社であるフラー建築株式会社による施工となる運びとなった。 かくして1920年(大正9年)11月起工され、その間の1922年(大正11年)4月26日にマグニチュード6.8の地震が発生し被災し、この被害については、フラー建築から三菱合資会社地所部に、4692.14円の工事手数料が払い戻された〔『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 上巻、248頁〕。起工より2年8ヶ月を経て、1923年(大正12年)5月26日に竣工した。この施工の契約は実費清算報酬加算方式(実費精算方式)で、フラー建築の工事手数料は15パーセントであった〔『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 上巻、247頁〕。 竣工後の1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災によって、一部の外壁が破損するなどの被害を受けた。 1945年(昭和20年)9月、連合国軍最高司令官総司令部が接収し極東空軍尉官宿舎と成した〔『丸の内百年のあゆみ 三菱地所社史』 上巻、495頁〕。1956年(昭和31年)1月の接収解除後はふたたび日本郵船が本社屋としたが、現建物への建替えのため1976年(昭和51年)3月取り壊された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「郵船ビルディング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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