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郷純造[ごう じゅんぞう]
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・ 純 : [じゅん] 1. (adj-na,n) pure 2. innocent 3. chaste
郷純造[ごう じゅんぞう]
郷 純造(ごう じゅんぞう、文政8年4月26日(1825年6月12日)- 明治43年(1910年)12月2日)は、日本の武士・幕臣、大蔵官僚、政治家である。男爵。 == 人物 == 美濃国黒野(現在の岐阜市黒野)の豪農の三男として生まれる。弘化元年(1845年)江戸に出て大垣藩用人に武家奉公した後に旗本など奉公先を転々とするが、長崎奉行牧義制の納戸役として嘉永5年(1853年)のオランダ使節来訪問題に対応し、続いて箱館奉行堀利煕の用人としてその樺太・蝦夷地巡回に随行するなど対外問題に遭遇、更にその経験を大阪町奉行鳥居忠善に買われて貿易問題を担当して同家の家老として抜擢された。鳥羽・伏見の戦い直前に撒兵隊に属する御家人の株を買って幕臣となり、程なく差図役(士官)に登用され、最終的には撒兵隊差図役頭取、旗本となる。江戸開城前後、同隊の新政府に対する徹底抗戦路線には従わずに江戸開城後は新政府軍に従った。明治維新後は新政府に入り大蔵官僚として活躍する。特に渋沢栄一や前島密、杉浦愛蔵ら旧幕臣の登用を大隈重信や伊藤博文らに薦めた功績は特筆すべきである。だが、それが原因で幕臣嫌いの大久保利通から憎まれていた(明治3年10月25日の大久保から岩倉具視あての書簡には郷を「断然免職か転勤ニならす」と名指しで明記されているほどである)。そのため、大久保が大蔵卿に就任して政権の中枢を担った時代には重要ポストから外されて干されることになった。大久保の没後、大隈や伊藤が政権の中枢に立つようになると漸く再評価されて大蔵大輔(後に初代大蔵次官と改称)を務めたが、実務官僚の地位に留まった背景には大久保政権下の不遇時代が尾を引いたからと言われている。退官後は貴族院議員となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「郷純造」の詳細全文を読む
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