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都倉 栄二(とくら えいじ、1915年 - 2000年7月4日)は、東京府出身の外交官。作曲家都倉俊一の父。Jリーガー都倉賢の祖父。 == 人物 == 旧制東京府立第八中学校(現東京都立小山台高等学校)を経て、ロシア文学に惹かれて東京外国語学校(現東京外国語大学)露語科に進み、1933年に卒業。ソ連の知識を買われて恩師に外務省入りを勧められ、1934年、高等文官試験外交科(外交官及領事館試験)に合格。外務省書記官となる。ハイデルベルク大学留学、在ドイツ日本国大使館在勤を経て、1936年、ウラジオストクの駐ソ日本領事館に勤務。第二次大戦中はドイツとフィンランドでソ連情勢の分析に携わる。1945年1月、満州国大使館に赴任。大将山田乙三の秘書官となる。満州国瓦解に伴いソ連軍に連行され、シベリア抑留を経験。1947年に引き揚げて外務省に復帰。ソ連通として日ソ国交正常化交渉に参加。 外務省欧米局第五課勤務、外務省欧亜局東欧課長を経て、1967年内閣調査室次長。1970年、特命全権大使としてイスラエルに赴任。1972年のロッド空港事件では涙を流しながらイスラエル国民への謝罪文を読み上げ、日本とイスラエルの断交を回避した。この時期から胃潰瘍を患う。1973年、ハンガリー大使に転任。ハンガリーでは長男俊一の結婚式を盛大に行う。 駐スウェーデン兼アイスランド特命全権大使を経て、1978年、外務省を退官。1979年、妻に先立たれて一人暮らしとなる。財団法人世界の動き社理事長、社団法人国際交流サービス協会会長。1997年、外務省の外郭団体の仕事で出かけたアイスランドで転んで鎖骨を骨折。晩年は入退院を繰り返し、2000年に癌で死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「都倉栄二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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