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鄧奉 ( リダイレクト:トウ奉 ) : ウィキペディア日本語版
トウ奉[とう ほう]

鄧 奉(とう ほう、? - 27年)は、中国代から後漢時代初期にかけての武将。荊州で活動した新末後漢初の群雄の1人。荊州南陽郡新野県の人。後漢草創期の功臣である鄧晨の甥(兄の子)。弟は鄧終。
== 事跡 ==

=== 岑彭との激戦 ===

更始1年(23年)、鄧奉は淯陽(南陽郡、育陽とも)で反新の挙兵を行い、同地を拠点とした。翌更始2年(24年)、樊崇率いる赤眉軍が荊州へ進攻してくると、これに敗北した更始帝配下の前大司馬劉賜が淯陽に逃げ込んでおり、鄧奉の庇護を受けたと見られる。また、行大将軍事陰識陰麗華の異母兄)も、この時に鄧奉の客将となり、陰麗華も身を寄せている。
建武1年(25年)、光武帝(劉秀)が即位すると、鄧奉も叔父鄧晨と同様にその臣下となり、破虜将軍に任命された。しかし翌建武2年(26年)、大司馬呉漢が、宛の董訢ら荊州の群雄を討伐に向かったが、呉漢軍はその際に各所で略奪行為を行い、鄧奉の故郷新野も被害にあった。激怒した鄧奉は、呉漢の軍を撃破し、漢に叛くことになる。この時、かねてから親交のあった趙憙が、鄧奉に度々書面を送って叛逆を非難したが、鄧奉は聞く耳を持たなかった。
鄧奉は董訢と協力して、漢の揚化将軍堅鐔を南北から挟撃、包囲して、1年に渡り困窮させた。同年11月、光武帝は廷尉岑彭を征南大将軍に任命し、8人の将軍を率いさせて堵郷(南陽郡葉県方城付近)の董訢を攻撃した〔董訢は、光武帝配下の揚化将軍堅鐔に宛を攻め落とされ、故郷の堵郷に敗走していた(『後漢書』堅鐔伝)。〕。しかし鄧奉が董訢を救援し、その部隊は南陽の精鋭であったため、岑彭軍を相手に善戦する。その戦いぶりは、賈復を負傷させ、淯陽の戦いで朱祜を生け捕りにするほどであった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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