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鄧祖禹 : ミニ英和和英辞書
鄧祖禹[う]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そ]
 【名詞】 1. ancestor 2. forefather 3. progenitor 

鄧祖禹 ( リダイレクト:トウ祖禹 ) : ウィキペディア日本語版
トウ祖禹[とう そう]

鄧 祖禹(とう そう)は中華民国の政治家・軍人。孫文(孫中山)派の南方政府、国民政府に属する。後に中華民国維新政府汪兆銘汪兆銘政権(南京国民政府)に参加した。鑄久滌清
== 事跡 ==
雲南陸軍講武堂を卒業。1913年民国2年)、江西都督李烈鈞の副官となった。1915年(民国4年)の護国戦争(第三革命)でも李に随従して雲南省に赴いている。
1920年(民国9年)、鄧祖禹は広東駐留の雲南軍司令朱培徳の配下となる。1924年(民国13年)、広東衛戌司令の地位にあった蒋介石の副官に異動した。北伐に際しては、程潜配下の兵站監に任ぜられる。1927年(民国16年)、東路総指揮何応欽の下で政治部主任となった。後に胡漢民に属し、冀察政務委員会参議にもなる。
中華民国維新政府が成立すると、鄧祖禹はこれに参加する。内政部総務司長兼警政司長となり、さらに警察学校教育長もつとめた。1940年(民国29年)3月、汪兆銘政権(南京国民政府)の成立とともに、警政部常務次長に任命された。翌年8月、中央警官学校校長に異動し、1942年(民国31年)6月、首都警察総監となった。
1943年(民国32年)5月、九江江西省政府が設立されると、鄧祖禹が初代江西省省長に任命された。翌月、同省保安司令を兼ねている。12月、新国民運動促進委員会江西分会主任委員に異動した。1944年(民国33年)1月、軍事委員会委員に任じられている。
日本敗北後、鄧祖禹は蒋介石の国民政府に逮捕される。1946年(民国35年)10月8日、懲役15年を宣告され、上訴後の1948年(民国37年)2月28日に懲役14年へ減刑された。その後の消息は不明である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トウ祖禹」の詳細全文を読む




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