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鄭 容臺(チョン・ヨンデ、1978年2月4日 - )は、愛知県名古屋市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 == 来歴 == 愛知第三初級学校の頃に中部朝鮮学校選抜の中心選手として頭角を顕した。その後、愛知朝鮮中高級学校高級部、朝鮮大学校を経て、2000年に当時関東サッカーリーグに所属していた青梅FCでプレーしていたが、その年に在日韓国人の選抜チーム「在日大韓蹴球団」のメンバーに選ばれ、韓国の釜山で行われた大会で活躍。そこでのプレーが認められ、2001年にKリーグの浦項スティーラースに入団しプロサッカー選手となった。この韓国行きの際に、それまでの朝鮮籍から韓国籍へと国籍を変更している〔テレビ愛知ホームページ「解説委員室・コラム」No.077「愛しのヨン様!」2004年12月28日付 〕。 翌2002年に日本に戻り、名古屋グランパスエイトに入団〔鄭容臺が名古屋グランパス入団 在日大韓蹴球団出身、浦項から移籍 在日本大韓民国民団 2002年2月14日付〕。セレッソ大阪、川崎フロンターレと渡り歩き、守備的な選手として起用された。 プロとして6年目の2006年に横浜FCに完全移籍で入団した。そこで初めてレギュラーをつかみ、チームのJ1昇格に貢献。2007年、負傷により出場機会が減り、コンサドーレ札幌へ期限付き移籍。札幌では大塚真司の負傷離脱などもあり途中加入ながらレギュラーに定着し、本来の守備的MF以外にもセンターバックやサイドバックもこなすプレーの幅の広さを生かし、ここでも昇格に貢献した。2008年に札幌へ完全移籍したが、出場機会が減少し、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。2009年シーズンは開幕を無所属のまま迎えたが、4月に2シーズンぶりに横浜FCでプレーすることが決まった〔MF鄭容臺(チョン ヨンデ)選手加入のお知らせ 横浜FC 2009年4月2日付プレスリリース〕。同年は2006年に次ぐ出場試合数を記録し、再び横浜FCの中心選手となったが、同年限りで退団した。 2010年シーズンは無所属のまま複数のクラブの練習に参加するなどしていたが、希望するJリーグでの所属先が見つからず、同年9月に現役引退を発表。2011年より、古巣の川崎で育成部門のコーチを務める。 2013年、横浜FCのトップチームコーチに就任〔川崎フロンターレ育成・普及コーチ兼U-15・U-13コーチ鄭容臺氏トップチームコーチ就任のお知らせ 横浜FC 2013年1月13日付〕。 2015年、カターレ富山のトップチームコーチに就任。同年8月に成績不振を理由に岸野靖之監督とともに契約解除。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鄭容臺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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