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鄭根[てい こん]
鄭根(てい こん、徳隆5年(1633年) - 永盛5年(1709年))は、後黎朝大越の権臣、東京鄭氏の第6代当主。 == 生涯 == 西定王鄭柞の息子。陽徳元年(1672年)、父の命により御林軍を率いて大挙南下し、広南阮氏を討伐した。正和3年(1682年)に鄭柞が死去すると跡を継ぎ、朝廷から定南王に封じられた。国政改革に取り組み、官員の定期に審査する制度を制定した。同時に法律を改革して、賭博行為を禁止した。 正和15年(1694年)、ラーンサーン王国の王の死後、ラーンサーンには混乱が起こり、3つの小王国(ヴィエンチャン王国・ルアン・プラバーン王国・チャンパーサック王国)に分裂した。鄭根は軍を派遣してラオスに進入させ、アユタヤ王朝の軍隊に対抗させた。その後、チャンパーサック王国が後黎朝の支配下に入った。 永盛5年(1709年)に死去、曾孫の鄭棡が跡を継いだ。昭祖の廟号を追贈され、康王と諡された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鄭根」の詳細全文を読む
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