翻訳と辞書
Words near each other
・ 鄭松
・ 鄭板橋
・ 鄭柄宙
・ 鄭根
・ 鄭根宇
・ 鄭桂庭
・ 鄭梨賢
・ 鄭森
・ 鄭森 (ベトナム)
・ 鄭検
鄭楷
・ 鄭楹
・ 鄭権
・ 鄭樵
・ 鄭欣宜
・ 鄭毓秀
・ 鄭氏台湾
・ 鄭氏政権
・ 鄭氏政権 (台湾)
・ 鄭氏東京国


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

鄭楷 : ウィキペディア日本語版
鄭楷[てい かい]

鄭楷(てい かい、景興24年(1763年) - 景興47年(1786年))は、後黎朝大越の権臣、東京鄭氏の第12代当主。初名は鄭棕(てい そう)。
== 生涯 ==
靖都王鄭森と正室楊氏玉歓の間に長男として生まれ、世子に立てられた。しかし晩年の鄭森は愛妾・鄧氏恵の讒言を信じて鄭棕を廃嫡し、鄧氏恵が産んだ弟のを冊立した。
景興43年(1782年)9月に鄭森が死去し、鄭が跡を継いだ。11月、阮朋三府兵を率いて摂政の大臣黄廷宝を殺害し、鄭棕を擁立した(三府軍の乱)。鄭棕は名前を鄭楷に改め、朝廷から端南王に封じられた。景興47年(1786年)、西山朝阮恵が鄭氏内部の不和に乗じる形で北方へ侵攻してきた。敗北した鄭楷は昇龍を脱出したが、西山軍の捕虜となった。敵の虜囚となったことを恥辱と感じた鄭楷は、昇龍へ連行される途中で自刃した。
死後、霊王された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「鄭楷」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.