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鄭注(てい ちゅう、? - 835年)は、中国・唐代の官僚。本姓は鱼氏で、後に名門の鄭氏を称した。絳州翼城県(山西省翼城県)の出身。 ==経歴== 改姓していることでも判るように、生家は下賎の階層であった。多芸多才で陰険狡猾な性格をしており、人心を察するに敏であった。大和8年(834年)に、宦官の王守澄に見出されて、太僕卿となり、御史大夫を兼ねた。官に就くと、その権勢を笠に、私腹を肥やす事に励んだ。 文宗や李訓と謀って、宦官を一掃しようとして、鳳翔節度使となって、その兵力を用いて宦官を除こうとした。が、その約に先立って、李訓が挙兵したため、ことは失敗に終わり、鄭注も鳳翔(陝西省鳳翔県)で殺害された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鄭注」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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