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鄱陽湖の戦い : ミニ英和和英辞書
鄱陽湖の戦い[たたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よう]
  1. (adj-na,n-adv,n) way 2. manner 3. kind 4. sort 5. appearance 6. like 7. such as 8. so as to 9. in order to 10. so that 1 1. yang 1
: [みずうみ]
 【名詞】 1. lake 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

鄱陽湖の戦い ( リダイレクト:ハ陽湖の戦い ) : ウィキペディア日本語版
ハ陽湖の戦い[はようこのたたかい]

鄱陽湖の戦い(はようこのたたかい、鄱は番におおざと)は、1363年の中国で起こった 朱元璋陳友諒の間の湖上戦。この戦いで陳友諒は戦死し、朱元璋は西方の憂いを無くす。

== 戦いの背景 ==
1355年、それまで盗賊とさほど変わらなかった朱元璋の軍は、南下して長江を越えて元朝支配の都市太平を奪い、次いで1356年に集慶(現在の南京)を落として応天府と改名し、ようやく根拠地を得ていた。
ところが1360年、江州(現九江)を根拠地として力を付けていた陳友諒に、太平を奪われてしまう。陳友諒はさらに応天府にまで攻め込むが、朱元璋の奇計により敗北する。これにより、これまで優勢であった陳友諒と朱元璋の立場が逆転した。 1361年には陳友諒は安慶、江州、南昌という拠点を奪われ、武昌(現武漢市)にまで撤退を余儀なくされる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハ陽湖の戦い」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of Lake Poyang 」があります。




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