翻訳と辞書
Words near each other
・ 酒井ローレンス・アーロン
・ 酒井一
・ 酒井一圭
・ 酒井一夫
・ 酒井七馬
・ 酒井三郎
・ 酒井三郎 (歴史学者)
・ 酒井乃碧
・ 酒井了恒
・ 酒井了明
酒井了次
・ 酒井了知
・ 酒井亨
・ 酒井伴四郎
・ 酒井伸和
・ 酒井俊
・ 酒井俊光
・ 酒井俊夫
・ 酒井俊幸
・ 酒井俊幸 (アナウンサー)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

酒井了次 : ミニ英和和英辞書
酒井了次[さかい のりつぐ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さけ]
 【名詞】 1. alcohol 2. sake 
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [りょう]
  1. (n,vs) finish 2. completion 3. understanding 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

酒井了次 : ウィキペディア日本語版
酒井了次[さかい のりつぐ]

酒井 了次(さかい のりつぐ)は、江戸時代寄合旗本庄内藩一門酒井吉之丞(玄蕃)家の祖。
== 経歴 ==
慶長11年(1606年)、酒井家次の五男として生まれる。元和8年(1622年)、兄忠勝庄内藩主となった際に、5000石を分与されて寄合旗本となる。
宗家の家督横領を企む兄の忠重に讒言され、兄の忠勝により高野山入りを命ぜられたが、寛永12年(1635年)に密かに江戸に上って若年寄に密訴したため、忠勝の怒りを買い、庄内藩領内の黒川に幽閉された。軟禁状態にあり、里人の能舞を楽しみ、自らも鼓を打ち謡をしたが、寛永12年(1635年)5月10日配所にて死去。享年30。
没年は、大督寺の墓碑に記されたものは寛永12年、高野山の塔銘に記されたものは寛永13年(1636年)、酒井本家系図に記されたものは寛永14年(1637年)である。〔『櫛引町史』〕
嫡男忠崇は、酒井忠清の仲介で宗家の扶持を受けることとなり〔『櫛引町史』〕、承応2年(1653年)死去。忠崇の子の重盈は、弟の重秋と共に江戸から、庄内に下向して宗家に仕え、後に家老となる。
重盈の家は、酒井吉之丞玄蕃と呼ばれ、代々藩内で重きを成した。重盈の後は、4代重栄、5代重喬、6代重頼、7代了知、8代了安、9代了繁、10代了明、11代了恒、12代了敏、13代調良と続く。
子孫の中でも、戊辰戦争で活躍した了恒(玄蕃)、その弟で庄内柿の生みの親の調良、同じく弟で書家の黒崎研堂は高名である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「酒井了次」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.