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酒井 忠晴(さかい ただはる、1970年6月21日 - )は、埼玉県三郷市出身の元プロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == 修徳高等学校では本来は遊撃手であったが、強肩を買われ2年生からエースとなる。夏の甲子園東東京予選決勝に進出するが、帝京高の芝草宇宙と投げ合い敗退。翌夏はエース、1番打者、主将として再度、東東京予選決勝に進むが、日大一高に3-4で惜敗し甲子園出場を逸する。1988年ドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名を受け入団。 ドラフトでは投手指名だったが、プロ入り後すぐに内野手に転向、から控えとして一軍に定着した。にはシーズン中盤に種田仁が欠場したこともあり、遊撃手として37試合に先発出場。しかしその後は守備要員として起用されることが多く、オフに前田幸長、平沼定晴、樋口一紀との交換トレードで仁村徹、山本保司と共に千葉ロッテマリーンズへ移籍。 には、三塁手であった初芝清が指名打者、一塁手となり、その後継として三塁手の定位置を獲得。翌には二塁手に回り、には、規定打席にわずか13打席届かなかったが、過去最高の打率.266を記録。この時期は、同じく名手と呼ばれる遊撃手の小坂誠と二遊間、三遊間を形成してチームを支えた。その後、オフに波留敏夫との交換トレードで古巣・中日に復帰。 中日に復帰するも、翌にはタイプが似ている同じ内野手の川相昌弘が加入。結局ルーキーイヤー以来の一軍出場なしに終わり、自由契約となった。12球団合同トライアウトで新球団の東北楽天ゴールデンイーグルスの新監督田尾安志の目に留まり、無償トレードで楽天へ移籍。 は遊撃手、三塁手、二塁手の3つのポジションをこなし84試合に先発出場。しかし翌は、主砲ホセ・フェルナンデスの加入と若手主体へのチーム方針の転換により出番が激減。目立った衰えのないまま、同年オフに戦力外通告を球団から受け、プロ野球からの引退を表明。 からは萩本欽一が立ち上げた社会人野球チームの茨城ゴールデンゴールズでプレーした。 からまでBCリーグの福井ミラクルエレファンツの監督を務めた。2014年10月22日に楽天の二軍内野守備走塁コーチに就任することが発表された〔新任コーチに関して 楽天球団公式サイト2014年10月22日配信〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「酒井忠晴」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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