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醍醐忠敬(だいご ただゆき、1849年11月18日(嘉永2年10月4日) - 1899年(明治32年)5月23日)は、幕末・維新期の公家。忠順の子。兄弟には、兄の醍醐忠告と、弟の一条忠貞、醍醐忠直がいる。 戊辰戦争の際には奥羽鎮撫副総督として各地を転戦。この功で永世賞典禄六百石を下賜し、従三位に任命された。明治期には留守権判官、元老院議官を歴任した。1890年(明治23年)10月20日、元老院が廃止され非職となり〔『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 下巻』283頁。〕錦鶏間祗候を仰せ付けられた〔『官報』第2195号、明治23年10月22日。〕。 家督相続に絡む怨恨が原因で、1899年に東京府麹町の父・忠順の邸宅にて甥の格太郎(3年前に亡くなった前当主・忠告の子)に射殺され死亡した。長女の為子(子爵小倉英季の妻)も犠牲となった。この事件は当時の一大スキャンダルとなり、一時醍醐家は没落した。家督は父・忠順が再度継ぎ、為子の弟・忠重は公卿摂家の一条家に引取られて養育された。 ==脚注== 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「醍醐忠敬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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