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醍醐猛夫 : ミニ英和和英辞書
醍醐猛夫[だいご たけお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

醍醐 : [だいご]
 (n) (gen) (Buddh) the finest thing in this world
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

醍醐猛夫 : ウィキペディア日本語版
醍醐猛夫[だいご たけお]

醍醐 猛夫(だいご たけお、1938年11月15日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手捕手)。2001年から2002年までの登録名は醍醐 猛男(読みは同じ)。
== 来歴・人物 ==
早稲田実業学校では1年生エース王貞治とバッテリーを組み、捕手、三番打者として1956年夏の甲子園に出場。2回戦で県岐阜商に敗退。高校同期に徳武定之三塁手がいた。
1957年毎日オリオンズに入団。1年目から正捕手として活躍。1959年には谷本稔に定位置を譲るが、1964年にレギュラーの座を奪還。1965年には全試合出場、初めて規定打席に達する(23位、打率.248)。1971年には2試合にまたがる4打席連続本塁打を記録した。オールスターゲームにも4度出場している。リーグを代表する巧打の捕手としてオリオンズの1960年1970年1974年のリーグ優勝に貢献。1973年には村上公康にポジションを譲り、1975年限りで現役引退。
引退後は1976年から1979年までロッテ一軍バッテリーコーチ(1974年からは選手兼任コーチ)、1980年から1983年までテレビ埼玉野球解説者1984年から1986年までバッテリーコーチ、1987年には米大リーグサンディエゴ・パドレスの極東地区担当スカウト、1995年千葉ロッテマリーンズ二軍監督、2001年は一軍ヘッドコーチ、2002年は二軍監督を務めた。現在は在宅介護支援デイケア「あさくら」の代表取締役として経営に関わっており、その傍らTwellV プロ野球中継で解説者としても活動している。
選手として毎日オリオンズ、大毎オリオンズ、東京オリオンズ、ロッテオリオンズの全てに在籍した人物は醍醐と榎本喜八の2名のみである。
なお、苗字は漢字の画数が多い文字であったため、後楽園球場の電光掲示板や東京球場のスコアボードでは片仮名で「ダイゴ」と表記されていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「醍醐猛夫」の詳細全文を読む




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