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醍醐経胤 : ミニ英和和英辞書
醍醐経胤[だいご つねたね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

醍醐 : [だいご]
 (n) (gen) (Buddh) the finest thing in this world
: [けい, たていと]
 (n) (weaving) warp
: [たね]
 【名詞】 1. issue 2. offspring 3. paternal blood

醍醐経胤 : ウィキペディア日本語版
醍醐経胤[だいご つねたね]
醍醐 経胤(だいご つねたね、享保2年7月15日1717年8月21日) - 安永10年1月21日1781年2月13日))は、江戸時代中期の公卿。中御門天皇(114代)・桜町天皇(115代)・桃園天皇(116代)・後桜町天皇(117代)・後桃園天皇(118代)の五帝にもわたって仕え、官位は従一位右大臣まで昇った。初名は兼潔(かねきよ)。号は妙観寺。父は左大臣醍醐冬熙。母は対馬府中藩主・宗義真の娘・お家。室は対馬府中藩主・宗義誠の娘・お升。子に醍醐冬香醍醐輝久。養子に醍醐兼純一条兼香の子)。
享保7年(1722年)に叙爵。以降清華家当主として速いスピードで昇進し、侍従左近衛中将を経て、享保14年(1729年)には従三位となり公卿に列する。権中納言踏歌節会外弁を経て、元文3年(1738年)に権大納言に補される。宝暦4年(1754年)に右近衛大将右馬寮御監に任じられるも翌年に一度任職を辞す。宝暦10年(1760年)には従一位を授与された。安永7年(1778年)には内大臣を経ずして右大臣に任じられるも、翌年に辞す。またこの年より経胤と改名する。
宝暦元年(1751年)、本家の一条家から養子の兼純を迎えて跡目としていたが、同年に実子の冬香が生誕。跡を継いだ兼純もやがては早世し、冬香がその跡を継いでいる。
==関連項目==

* 醍醐家



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「醍醐経胤」の詳細全文を読む




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