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釈 証厳 (しゃく しょうごん、釋證嚴、俗名:王錦雲、法号:慧璋、1937年5月11日 - )は、台湾の尼僧。慈済基金会の創設者。台中県清水鎮(現在の台中市清水区)生まれ。 「花蓮の導師」「台湾のマザーテレサ」と呼ばれる。 == 略歴 == === 出家前 === 日本統治時代の末期に生まれ、叔父夫婦の養女となり、豊原市に住む。 養父は劇場を経営し、豊原や清水、潭子など台中県内の各市を転住した。家は比較的安定し、彼女は家庭を助け、世間からは孝行娘と呼ばれた。 後に米軍の空襲に遭い、戦争の残酷さを見せつけられた。 1960年に養父が脳溢血で亡くなり、彼女は悲しみの余り、人生の道理について考えるようになった。 豊原寺や慈雲寺に参詣し、因縁果報の業の仕組みや人生の無常を知り、出家を志すようになった。 その後、彼女は引き続き真理を探し求め、聖書や四書を読んだ。四書の中に、中国伝統の倫理や道徳が書かれていることを見出し、社会の安定は個々の人々が己の分を守ることが大事だと思い至った。 その頃、ある信者が法華経の古紙を捨てるのに出会い、それを買い求めた。 その後、慈雲寺の僧侶の推薦で、台北県汐止市の静思院に行って出家の準備をしたが、3日後に母に連れ戻された。 その後、慈雲寺の釈修道に従って、高雄や台東県の鹿野郷に行った。 二人は花蓮に留まり、仏教蓮社で、日本語の法華経の講義集を読み、その中の無量義経に「靜寂清澄,志玄虚漠,守之不動,億百千劫。無量法門,悉現在前,得大智慧,通達諸法」の16文字があるのを読んで感動した。 1962年に釈修道が豊原に帰り、彼女は一人留まり、許聡敏居士の下で、自ら落髪して沙弥尼になり釈修参と名乗った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「釈証厳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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