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帝釈天(たいしゃくてん)は、仏教の守護神である天部の一つ。天主帝釈・天帝・天皇ともいう〔株式会社日立ソリューションズ・ビジネス 『世界大百科事典 第2版』 Kotobank、2014。 楠戸義昭 『戦国名将・智将・梟将の至言』 学習研究社、2009。 楠戸義昭 『戦国武将名言録』 PHP研究所、2006。〕。バラモン教・ヒンドゥー教・ゾロアスター教の武神(天帝)でヒッタイト条文にも見られるインドラ()と同一の神。妻は阿修羅の娘である舎脂。梵天と一対の像として表されることが多く、両者で「梵釈」ともいう。朝鮮の檀君神話では釋提桓因(しゃくだいかんいん)とも記載される。釋は字(あざな)、提桓因は天主のこと。 別名三十二天とも呼称される。また、仏教では東南西北のそれぞれに、持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天)が仕えることから四天王天と呼ばれることがある。 == 概説 == 帝釈天の名はインドラの名前の śakro devānām indraḥのうち、śakraを釈と音訳したものに、devaを天と意訳して後部に付け足し、indraを帝と意訳して冠したもの。 本来のインドラ神は、阿修羅とも戦闘したという武勇の神であったが、仏教に取り入れられ、成道前から釈迦を助け、またその説法を聴聞したことで、梵天と並んで仏教の二大護法善神となった(インドラの項を参照)。 四天王などを配下とし、須弥山の頂上・忉利天の善見城(喜見城)に住むとされる。インドにおける仏伝図様においては、釈迦に従う帝釈天の様子が描かれることがある。 『涅槃経』巻33や『大智度論』巻56には、帝釈天が人間だった頃の名前は憍尸迦(きょうしか、Kauśika)であると説かれている。かつて昔にマガダ国の中で名を摩伽(まか)、姓を憍尸迦という、福徳と大智慧あるバラモンがいた。 彼には知人友人が32人いて共に福徳を修して命終して、須弥山の頂の第2の天上に生まれた。摩伽バラモンは天主となり、32人は輔相大臣となったため、彼を含めた33人を三十三天という。これゆえに釈迦仏は彼の本名である尸迦と呼ぶという。また、このために彼の妻・舎脂を憍尸迦夫人と呼ぶこともある。 日本では頭上に宝髻を結び、大衣や天衣を着た二臂像・立像、あるいは白象に乗った状態が多い。手には金剛杵や蓮茎などを持ち、着衣下に甲冑を着けることもある。密教においては、一面二臂で宝冠を戴き、身体には甲冑を着け、手には独鈷杵を持つ例が見られる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「帝釈天」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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