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里見公園(さとみこうえん)は千葉県市川市国府台にある市立公園。春の花見の名所として知られる。面積8.2ha。江戸川の流れを見下ろす高台にあるため、江戸川、東京東部の市街、富士山等山々の眺望に優れている。15世紀に、この地に太田道灌が仮陣を置き、弟の太田資忠らが国府台城を築いた。その後16世紀に里見氏・後北条氏の間で2度にわたる国府台合戦が戦われた。 == 公園の概要 == 公園の北半分は自然を残した樹林で、石棺の露出した前方後円墳の明戸古墳、国府台合戦の伝説を伝える夜泣き石(公園に隣接する総寧寺から移設)、北原白秋の旧居紫烟草舎(江戸川区から移築)等が残っている。 公園の南半分は西洋式庭園で、桜が多く、近年はバラの育成にも力を入れている。また、江戸川に近い斜面林の中に、弘法大師発見と伝えられる湧き水の羅漢の井が残っている。 自然が残されているため、春秋は小学校や幼稚園の遠足の地として親しまれている。 近くの江戸川堤、矢切の渡しと結んで散策コースとして歩かれることが多い。さらに、市川市では、京成線国府台駅・江戸川堤・里見公園・国府台緑地・じゅん菜池緑地・小塚山緑地・堀之内貝塚公園・北総線北国分駅をつなぐ道を、散策路「市川水と緑の回廊」として整備している。 == 公園の沿革 == 公園の南半分の西洋庭園部分には、旧陸軍の病院(陸軍衛戍〈えいじゅ〉病院)があり、戦後も国立国府台病院(現・国立国際医療センター国府台病院)の精神科病棟として使用されていた。 公園の北半分の樹林の中には、1933年(昭和8年)まで里見八景園という遊園地があり、今も園内にはその庭園の名残が残されている。その後は私設の「里見公園」となったが、戦争の激化に伴い、旧陸軍の管理するところとなり、太平洋戦争中はこの樹林の中にいくつもの防空壕が掘られた。 1958年(昭和33年)、市川市立の公園となり、南半分の国府台病院の病棟が移転した跡は西洋式庭園となり、北半分の樹林の中の防空壕も埋められ、今日のように整備された。 == その他 == * 一部に、園内に高射砲陣地があったとの説が流布しているが、誤りである。これは、以前、明戸古墳西(現お花見広場)にすり鉢状の大きな竪穴が2つあり、近所の子供たちが高射砲を据えた跡だといったのが始まりである。この竪穴は防空壕の跡であることが明らかになっている。陣地の存在について、市川市立歴史博物館でも、この確たる根拠はないとの見方をとっている。 * 園内北の樹林は、月光仮面(KRテレビ〈後のTBS〉)、失楽園(よみうりテレビ)など、テレビドラマ等の撮影に使われたことも多い。(国府台参照) == 交通 == * 京成本線 国府台駅から江戸川堤を歩いて15分 同駅から京成バス松戸行きで国立病院前下車徒歩5分 * JR総武線 市川駅から京成バス松戸行きで国立病院前下車徒歩5分 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「里見公園」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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