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里見 義実(さとみ よしざね、応永19年(1412年) - 長享2年4月7日(1488年5月18日))は、室町時代の武士。杖珠院殿建宝興公居士。里見家兼の孫で里見家基の子とされて、安房国の戦国大名里見氏の初代となったとされる人物であるが、近年では架空説、里見氏庶流出身説がある。子は里見成義・中里実次がいるとされているが、近年では成義の存在は否定されて従来の系譜上成義の子とされてきた里見義通・実堯兄弟が義実の実子であると考えられている。 == 里見義実の系譜について == 上野国新田氏の一族であった里見氏は南朝方に従っていたものの、宗家没落後に一族の中に北朝側に参加する者が現れた。やがて、室町幕府に従って美濃国に所領を得た里見義宗が観応の擾乱で足利直義側に付くと直義が南朝と結んだ事もあり、里見一族は直義方として参加する。だが、直義は敗北して里見氏は所領を失って没落した。その後、里見家兼が鎌倉公方足利満兼に召しだされて常陸国に所領を得たという。ところが、永享の乱で家兼が自害、続いて結城合戦で家基が討たれてその子であった義実は落ち延びたとされている。だが、近年において、義実(あるいは家兼)を旧来の伝承による上野里見氏嫡流ではなく、美濃里見氏・義宗の末裔であったとする説が出されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「里見義実」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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