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重徳 和彦(しげとく かずひこ、1970年12月21日 - )は、日本の政治家、自治・総務官僚。民進党所属の衆議院議員(2期)。 == 来歴 == 愛知県豊田市生まれ。豊田市立前山小学校、豊田市立豊南中学校、愛知県立岡崎高等学校、東京大学法学部卒業。 金融機関から内定を得ていたが辞退し、公務員試験を受験するため留年を選択した。1994年、大学を卒業し、自治省(現総務省)に入省〔プロフィール 公式サイト〕。本省勤務の他、山形県、青森県、広島県への出向や、アメリカ合衆国のコロンビア大学への留学を経験する〔衆議院 議員一覧 重徳和彦君 〕〔環境立国 重徳和彦プロフィール 〕。 2010年9月、神田真秋愛知県知事が4選不出馬の意向を表明。これを受け、同年10月に総務省を退官し、翌年の愛知県知事選挙への出馬を表明する。2011年2月6日投開票の愛知県知事選挙に無所属(自由民主党推薦)で出馬したが、自民党を離党し(後に除名処分が下る)、衆議院議員を辞職して出馬した大村秀章に敗れ、次点で落選した。 2012年8月、元衆議院議員の杉浦正健から「堂々と出馬すればいい」との助言を受け、自民党以外の政党から次期衆議院議員総選挙に立候補する意向を固める〔重徳和彦Twitter 2012年11月26日付 〕〔しげとく和彦(重徳和彦):2012年12月 〕。8月20日、総選挙への出馬を正式に表明〔中日新聞(2012年8月21日付朝刊、12版、26面)〕(なお、重徳に立候補を促した杉浦は、2012年の第46回衆議院議員総選挙では、重徳の対立候補である自民党新人の青山周平の選挙対策事務長を務めた〔東海愛知新聞(2012年12月14日、1面)〕)。重徳は出馬に際して大阪維新の会の公認を模索しており、9月28日の日本維新の会結党を受け、同党に入党。第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会公認、みんなの党推薦で愛知12区から出馬し、選挙区では自民党の青山周平に敗れたが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、初当選した(民主党の中根康浩も比例復活で当選)。 2014年7月、日本維新の会の分党に際しては橋下徹大阪市長による新党結成を目指すグループに参加。同年9月、結いの党・日本維新の会の合流により維新の党の結党に参加し、同年12月の第47回衆議院議員総選挙では維新の党公認で愛知12区から出馬。当初、民主党前職の中根康浩も愛知12区での立候補が内定していたが、非自民候補の共倒れを懸念した維新の党は民主党に対し、愛知4区・12区以外に候補者の擁立を予定していた3選挙区から撤退する代わりに、愛知12区の中根の立候補を見送らせるよう働きかけた〔中日新聞(2014年12月18日付朝刊、県内版、22面)〕。民主党はこれに応じ、中根は公示日前日の12月1日、党本部から比例東海ブロック単独立候補への鞍替えを命じられた(中根は比例単独で当選)。維新の党公認で愛知12区から出馬した重徳は、自民党前職の青山を約1万3千票差で破り、初めて選挙区で当選し、再選(青山も比例復活)。 2015年10月22日、村岡敏英、小熊慎司、小沢鋭仁ら3人の維新の党議員と共に離党届を提出。当面無所属で活動していくことを表明した。翌10月23日に開かれた政治資金パーティーで「1、2か月の間に新党を立ち上げ、自民党に対抗できる政党をつくるためにこれから政界再編に取り組んでいく」と述べた。 同年11月18日、重徳を含む離党した議員4名と日本を元気にする会の山田太郎は、政治団体「草莽の会」の結成を総務省に届け出た。12月9日、村岡、小熊、重徳、小沢の4名で衆議院内に会派「改革結集の会」を結成した。12月14日、維新の党離党後無所属で活動していた鈴木義弘が会派に加入。政党助成法上の5人以上の国会議員という政党要件を満たしたため、12月21日、離党組5名で政党「改革結集の会」を設立した。 2016年3月22日、民主党の枝野幸男幹事長と改革結集の会の村岡敏英代表が会談。同党の所属議員5名のうち村岡、小熊、重徳、鈴木の4名は民進党に合流する方針が決まった。3月27日、民進党の結成大会が都内で開かれ、民進党に入党〔重徳和彦 - 民進党 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「重徳和彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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