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重松 健太郎(しげまつ けんたろう、1991年4月15日 - )は、東京都中野区出身のサッカー選手。ポジションは主にフォワード(FW)。 ==来歴== 小学校1年生の時に、当時ジュビロ磐田の黄金期を支えていたFW中山雅史に憧れサッカークラブに入団。当初は守備の選手だった。のちにFC東京サッカースクール深川に参加し、攻撃的MFにコンバート。中学入学時(2004年)に新規設立された「FC東京U-15むさし」に第1期選手として入団すると自らFWに立候補し、このU-15時代に初めてFWの選手となった〔ユース選手紹介 (2007年) 東京中日スポーツ〕。 U-18昇格後は、1学年上のFW山村佑樹、岩渕良太らとの熾烈なポジション争いの中〔【2009 Jユースサンスタートニックカップ】覚醒した東京のエース、進化を続ける浪花のドラゴン。輝きを放った2人のストライカー J's GOAL (2009年12月28日)〕、2008年の日本クラブユース選手権で得点王に輝いた〔工藤壮人(柏レイソルU-18)と同点受賞。〕。3年次(2009年)には倉又寿雄監督に指名された背番号10を背負い〔【2009Jユースサンスタートニックカップ Pick Up Player】託された背番号10:FW 重松 健太郎 (F東京) Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2009年12月20日)〕エースとして活躍。同年9月、U-18同期の阿部巧、平出涼とともに、高校卒業後のFC東京トップチームへの昇格が発表され、重松は「U-15むさし」出身者としては初のトップ昇格選手となった〔 FC東京 (2009年9月17日)〕。ユース年代では屈指の重心バランスを持つセンターフォワードとして多くの得点を記録。2009年12月のJリーグユース選手権大会では準決勝で2得点〔東京が重松2発で2年ぶり決勝 / Jユース 日刊スポーツ (2009年12月24日)〕、決勝戦では強烈な無回転FKで先制点を挙げ〔東京優勝! 重松がロナばりFK / Jユース 日刊スポーツ (2009年12月28日)〕、チームを優勝に導いた。信条とするプレーは「1対1なら自分で行くことを意識して絶対にシュートで終わること」、目標とする選手はスペイン代表のフェルナンド・トーレス。 2010年3月28日、J1第4節大宮戦でJリーグデビュー。長友佑都からのクロスボールをヘディングで合わせ、デビュー戦で初ゴールを記録した〔東京初、新人18歳重松デビュー弾 / J1 日刊スポーツ (2010年3月29日)〕。同月31日の名古屋戦でも得点を挙げ〔Jの新風(1) FW重松健太郎(F東京) ゲキサカ (2010年3月31日)〕、城福浩監督からは「短い時間、狭いスペースの中で仕事ができる選手」と評価を受けた〔【ヤマザキナビスコカップ FC東京 vs 名古屋】城福浩監督記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2010年3月31日)〕。9月には、AFC U-19選手権2010に背番号11で登録され〔AFC U-19選手権、U-19日本代表登録リスト50人に宇佐美、重松、酒井ら ゲキサカ 2010.09.13〕エース候補として〔U-19代表引っ張る六平&重松 ゲキサカ (2010年7月23日)〕布啓一郎監督からの期待をうかがわせたが、予備登録に留まり選出されなかった。 2011年よりアビスパ福岡へ期限付き移籍〔 FC東京 (2011年1月8日)〕〔重松 健太郎選手 FC東京より期限付き移籍加入のお知らせ アビスパ福岡 (2011年1月8日)〕。森下仁之チーム統括部長からは「ストライカーという名にふさわしい選手」で〔アビで開花 重松 新加入の19歳「全試合ゴール」宣言 西日本新聞、2011.01.26〕「ゴールに向かって常にプレーするだけではなく、前線からの守備の運動量もある」〔【2011シーズン始動!】福岡:新加入選手記者会見 (1) Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2011年1月24日)〕との評を受けた。篠田善之監督が1トップを基本布陣として採用したことなどから、レギュラーを掴むには至らなかったが、相手DFの背後への飛び出しやバイタルエリア内での強引さ〔【J1:第11節 福岡 vs G大阪】篠田善之監督記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2011年5月15日)〕、前線でのプレス〔【J1:第12節 磐田 vs 福岡】篠田善之監督記者会見コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2011年5月21日)〕を評価され、前線にアクセントを加える役割を担いプレーの幅を広げた。 2012年はFC東京に復帰したが〔重松 健太郎 選手 期限付き移籍満了のお知らせ アビスパ福岡 (2012年1月11日)〕出場機会に恵まれず、同年7月、城福が指揮を執るJ2・ヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍〔重松健太郎選手 ヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍のお知らせ FC東京 (2012年7月14日)〕〔重松健太郎選手 FC東京より期限付き移籍加入のお知らせ ヴァンフォーレ甲府 2012.07.14〕。しかし、チーム合流早々に練習試合で左膝の半月板を損傷し〔重松健太郎選手の手術について ヴァンフォーレ甲府 2012.08.23〕、出場機会を得ることなく退団した〔重松健太郎選手 期限付き移籍期間満了のお知らせ ヴァンフォーレ甲府 (2012年12月26日)〕。 2013年はJ2・愛媛FCへ期限付き移籍〔重松健太郎選手 愛媛FCへ期限付き移籍のお知らせ FC東京 (2012.12.26)〕〔重松 健太郎選手 期限付き移籍にて加入のお知らせ 愛媛FC (2012年12月26日)〕。主にセンターフォワードに配されるも、負傷による出遅れ〔負傷の重松、新天地・愛媛で完全復活だ デイリースポーツ (2013年2月14日)〕〔復帰秒読みの重松「自分は結果を出しに(愛媛に)やってきた」 blogola (2013年4月27日)〕から中々コンディションが上がらなかった〔本来の輝きを取り戻した重松健太郎「早くゴールが欲しい」 blogola (2013年6月25日)〕こともあり、得点は伸びなかった。 2014年、栃木SCへ完全移籍〔重松健太郎選手 栃木SCへ完全移籍のお知らせ FC東京 (2014年1月7日)〕〔重松健太郎選手 完全移籍加入のお知らせ 栃木SC (2014年1月7日)〕。移籍後初先発となったJ2第10節古巣愛媛戦で決勝点をアシストし〔栃木 阪倉裕二監督の助言を実行に移した重松健太郎「結果を出すことで出場機会を増やしたい」 blogola (2014年4月30日)〕、続く第11節札幌戦では強烈な無回転FKを突き刺して〔重松健太郎選手スペシャルインタビュー (前篇) 栃木SC (2014年5月4日)〕勝利に貢献。前線での好連携を構築したが、好不調の波の大きさが仇となりその後の出場機会は限られた。シーズン終了後、契約満了により退団〔栃木SC 契約満了選手のお知らせ 栃木SC (2014年12月9日)〕。 2015年、FC町田ゼルビアへ移籍〔重松健太郎選手 FC町田ゼルビアへ完全移籍のお知らせ 栃木SC (2015年2月25日)〕〔重松健太郎選手 加入のお知らせ FC町田ゼルビア (2015年2月25日)〕。同年は主に左サイドハーフに入り、リーグ戦全試合に出場。大型選手に引けをとらない空中戦勝率を記録し〔2015年J1・J2・J3リーグ 空中戦ランキング Football LAB (2015年12月15日)〕、逞しいボールキープとチャンスメークで貢献した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「重松健太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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