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重田(しげた、しげだ、しげの、おもた、おもだ、おみた、えだ)とは、日本人の苗字である。 重田(しげた)姓は藤原氏支流。旧信濃国(現在の長野県)に起源をもつ。関東から長野県、及び広島県・山口県付近などを中心に東北地方を除いて広く分布し、神奈川県に特に多い〔同姓同名辞典 200世帯を超える都道府県は次のようなものである。神奈川県690世帯、群馬県299世帯、千葉県346世帯、東京都312世帯、長野県239世帯、大阪府317世帯、広島県229世帯、山口県283世帯、鹿児島県268世帯。日本全国には4522世帯あるとされている。〕。伊豆半島から伊豆諸島にかけても分布が見られる。日本全国に約20'000人弱いるとされる。近世以降の系譜は詳らかでないとされる。家紋は「丸に井筒」「丸に梶の葉」「丸に違い鷹の羽」「丸に九枚笹」。 『しげた』と発音する姓は他に「茂田」「繁田」「滋田」などがある。水田に稲の葉が茂っている様を表す、との説がある。古くから信濃国に影響力を持っていた滋野氏との関連も指摘される。 また、重田や茂田、繁田などはそれぞれ別の地域から発祥した一族であるが、これらのシゲタが発音の同から混同されていったとも考えられている。「スギタ」氏との関連も指摘されている。 本項目では主に、『しげた』と発音する重田姓について扱う。 == 重田姓の人物 == で始まる記事の一覧も参照せよ。 * 重田氏 : 信濃國佐久郡発祥の一族。武田氏・蘆田氏・徳川氏に仕え天守番などを務めた。慶長五年上田合戦には徳川勢につき本多正信属として赴いている。『信濃資料』には「芦田郷内山家郷代官重田周防守」の記述がみられる。 : * 重田佐兵衛,重田喜兵衛 :: 依田信蕃の長男松平(依田)康真が天正十八年に小諸から藤岡へ移封した際にこれに従った、いわゆる「芦田五十騎」のそれぞれ一角。武田氏に仕え、その滅亡後は徳川と依田氏(芦田氏)に属した。藤岡改易後は信濃国に戻っている。喜兵衛は佐兵衛の子で父と行動を共にした。 * 群馬県佐波郡玉村町には重田氏の居した屋敷跡遺構が残されている。 * 十返舎一九の本名は重田姓である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「重田」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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