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野々山兼綱 : ミニ英和和英辞書
野々山兼綱[ののやま かねつな]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [くりかえし]
 (n) repetition of kanji (sometimes voiced)
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [けん]
  1. (conj,n) and 2. in addition 3. concurrently 

野々山兼綱 : ウィキペディア日本語版
野々山兼綱[ののやま かねつな]
野々山 兼綱(ののやま かねつな、天正19年(1591年) - 寛文7年10月28日1667年12月13日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。生国上総。実父は上田信綱。母は某氏。通称、新兵衛。丹後守、従五位下。
==来歴==
先代の野々山頼兼と同じく徳川秀忠に仕えており、慶長14年に腰物奉行となった。大坂冬の陣・夏の陣ともに従軍しており、夏の陣では鎧武者を討って首を得たとの記録が残る。また、元和3年、同5年、寛永3年の秀忠の入洛時に供奉し、寛永8年には近侍となった。秀忠の薨御の後には御番目付を勤めた。
寛文7年10月28日に77歳で死去し、実子の兼周が後を継いだ。法名は無世。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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