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野々村宗逸 : ミニ英和和英辞書
野々村宗逸[ののむら そういつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [くりかえし]
 (n) repetition of kanji (sometimes voiced)
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 

野々村宗逸 : ウィキペディア日本語版
野々村宗逸[ののむら そういつ]

野々村 宗逸(ののむら そういつ、1931年 - 1994年)は、日本の建築家都市計画家日本住宅公団の職員として公団団地設計に長く携わった人物。
== 経歴 ==
1931年、千葉県船橋市生まれ。戦時中宮城県疎開。1948年から1949年まで旧制山形高等学校在籍。その後新制の東京大学進学。1954年、東京大学工学部建築学科卒業。同級に磯崎新川上秀光、奥平耕造ら、同期に富安秀雄らがいる。卒業後、建設省入省。関東地方建設局営繕部配属。
1955年8月、建設省から日本住宅公団の本所建築部に移籍。
1956年、産業計画会議東京湾部会で「ネオ東京プラン」作成に参加。
1957年、東京支所建築部設計課団地係へ異動。晴海団地高層アパート、赤羽台団地高根台団地常盤平団地多摩平団地東久留米団地ひばりが丘団地鶴川団地の団地設計を担当。この後北習志野団地(習志野台団地)や我孫子などの団地計画に携わる。
1961年、国際協力の一環でイランへ調査旅行。
1962年、水島五島真駒内などの地域地区計画に関与。
1963年に首都圏宅地開発本部へ異動、多摩ニュータウン開発に係わることとなる。
同年、日住労宅地支部長(初代)。
1963年から1964年まで、大井町計画(神奈川県足柄上郡大井町、日笠端らと)に協力。1964年から1966年まで、松本市新市街地開発基本計画調査委員。
1965年、南多摩開発事務所、1966年南多摩開発局をへて1967年に同局事業計画課長。1970年に多摩町総合計画審議会委員。1971年事業計画第一課長。
同年、国土計画協会比企丘陵開発計画に関わる。
1972年から本所宅地事業部事業計画第二課長として、筑波大阪支所、福岡支所担当。
1974年、地域振興整備公団に出向。
1976年、公団筑波研究学園都市開発局事業第一部長就任。1980年、港北開発局長、1988年、公団本社都市開発事業部付(工事第一部長)から常任参与就任。1991年、退職。同年、千葉ニュータウン熱供給株式会社代表取締役、1993年、港北ニュータウン熱供給株式会社および株式会社港北都市開発センター代表取締役。1994年死去、転倒事故による。
料理家丸元淑生に私淑。趣味のひとつに競馬があり、1967年課の親睦会で競馬(スプリングステークス)を行うにあたり事前に勉強会で皆にレクチャーするが万馬券がでたためおけらとなる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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