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野々村 文宏(ののむら ふみひろ、1961年 - )は、日本の美術評論家、メディア論研究者、和光大学表現学部表現文化学科准教授。愛知県出身。 中森明夫・田口賢司らとともに「新人類」というくくりで1980年代初頭の注目を浴びる。3人の共著、週刊本28号『卒業 Kyon2に向かって』(朝日出版社)は当時話題となった。 == プロフィール == 実家は元瀬戸物の卸し業。少年時代は小児喘息を患う。そのため、高校を中退。 音楽少年でもあり、ソロ・ユニット「パーフェクト・マザー」で、阿木譲の自主制作レーベル「ヴァニティ」からシングル・レコードをリリース。また、同じく「ヴァニティ」で「Tolerance」というユニットで活動していた丹下順子と、1979年に「アナザー・ヴォイス」を結成し、渋谷の伝説的ニューウェーブ喫茶店「ナイロン100%」でライブを行った。 また、1980年に創刊された過激な自販機雑誌『HEAVEN』が、同年11月から編集長だった高杉弾らが脱退したため、新編集長となった山崎春美のもとで副編集長をつとめ、やはり編集者だった香山リカらと知り合う。なお、山崎がリーダーのバンド「タコ(TACO)」のファースト・アルバムには「ナレーター」として参加している。 コンピュータについても少年時代から熱中しており、1981年には、アスキー出版の別冊ログイン編集部に契約編集者として所属。ゲーム雑誌『ログイン』の編集者時代は、雷門ビデ坊の筆名で、「ビデオゲーム通信」などのコーナーを担当する。当時、ゲーム攻略本の同人誌「ゲームフリーク」を作っていた田尻智を発掘し起用した、また、当時、ミニコミ誌「東京おとなくらぶ」の編集長だった遠藤諭をアスキーに紹介。 1984年よりフリー。以後、ディジタルメディア、音楽、美術、建築などの評論に携わる。 2000年より和光大学表現文化学科の専任教員。2007年、同大芸術学科准教授。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野々村文宏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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