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野々村 直通(ののむら なおみち、1951年12月14日 - )は、島根県出身の教育評論家・画家で、現在は吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属。 元高等学校教員(美術科教諭)、元野球指導者(2011年度迄)。 == 経歴 == 島根県立大東高等学校から広島大学(美術科)に進学。硬式野球部では2年時に広島六大学の首位打者を獲得〔『甲子園高校野球人名事典』(森岡浩著、東京堂出版:2004年7月) 224頁〕。4年時は主将として全日本大学野球選手権大会に初出場。四番・一塁手で出場した初戦で同志社大学に11-0で敗れた〔朝日新聞、1973年6月9日付朝刊、19面〕。 大学卒業後に府中東高校に赴任し秋の中国大会で準優勝し、翌年の第51回選抜高等学校野球大会の出場校に選出され監督として甲子園初出場を果たした。その後帰郷し松江日大高校の監督を経て松江第一高校(後に開星高校)の教員となり4月に野球部を創部し初代監督に就任した。創部6年目のに夏の第75回全国高等学校野球選手権大会に初出場。 秋の中国大会で島根県勢としては1965年の邇摩高校以来33年ぶりの優勝を果たし神宮大会に出場したが、後に野球部員2人が高野連の定める大会参加資格規定に違反していたとして2人が出場した大会の記録を無効とした〔朝日新聞、1998年12月1日付朝刊、38面〕。これにより翌年の選抜大会への出場が無くなり〔、日本学生野球協会から警告処分が下った〔朝日新聞、1998年12月12日付朝刊、18面〕。 の第89回全国高等学校野球選手権大会で初戦の徳島商業高校戦で勝利し監督として甲子園大会初勝利を挙げた。の第81回選抜高等学校野球大会では初戦で神宮大会優勝校の慶應義塾高校に勝利し選抜大会初勝利。同年秋の中国大会で2度目の優勝〔公式記録としては初優勝〕し、翌年の第82回選抜高等学校野球大会に出場したが初戦で21世紀枠の向陽高校に1-2で敗れた。試合後のインタビューで「21世紀枠に負けたのは末代までの恥。切腹して死にたい」などの発言〔読売新聞、2010年3月26日付朝刊、37面〕が問題となり、監督を一時期辞任していた〔朝日新聞、2010年3月26日付朝刊、38面〕。 その後復帰を願う署名などもあり2011年4月に監督に再就任。夏の第93回全国高等学校野球選手権大会出場を最後に監督を退任し、2012年3月限りで開星高校を定年退職した〔。 教師退職後の2012年4月より教育評論家に転身。サンケイスポーツで連載コラム(『末代までの教育論』)の担当や、テレビ・ラジオ等のメディア出演するなど、様々な活動を展開している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野々村直通」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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