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野一色 助義(のいっしき すけよし、天文17年(1548年) - 慶長5年9月14日(1600年10月20日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。野一色行久(亮頼)の子。通称は頼母(たのも)。名は長頼とも。妻は黒川盛治の娘。 == 概要 == 近江国坂田郡野一色出身。中村一氏に家老として仕える。石高は8,000石。豪傑として知られる。関ヶ原の戦いの前夜に起こった杭瀬川の戦いでは、一氏の弟一栄(一氏が合戦前7月に死去したため陣代)に従い島清興軍と衝突。敵を追撃しようと橋を渡ったところで伏兵に遭い、これに猛撃される。乱戦の中、金の三幣の指物をつけて、騎馬で手強く奮戦するも深田に足をとられ宇喜多氏家臣の浅賀三左衛門(左馬助)に討ち取られた。後から追いついた家臣の奮戦により、首は奪われずにすみ、兜塚(大垣市赤坂西町)に着用の鎧兜とともに葬られたと伝わる。 子に次男の助重、三男の義重、四男の助忠(池田忠雄の家臣)、五男の助政、娘(後に一氏の養女)がおり、家督は義重が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野一色助義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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