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野上ふさ子 : ミニ英和和英辞書
野上ふさ子[のがみ ふさこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [の]
 【名詞】 1. field 
: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

野上ふさ子 : ウィキペディア日本語版
野上ふさ子[のがみ ふさこ]
野上 ふさ子(のがみ ふさこ、1949年 - 2012年10月10日 )とは、日本のNPO法人「地球生物会議 ALIVE」創設者。動物愛護・動物保護活動家。日本の新左翼活動家・著作家。アイヌ民族の権利のための活動と〔「ポン・フチ」のペンネームで著作を書き、北海道で開発反対運動をする〔第16回 野上ふさ子 静かに声を上げるポン・フチ 知られざる日本人,太田宏人著,2005年10月23日,「アイヌと暮らして」抜粋「25歳のとき『アイヌ語は生きている』とういう本を書いた。ペンネームは、ポン・フチ。「小さいおばあさん」という意味で、若いのに、年寄りのように物識りだと、アイヌが野上につけたあだ名。博学な野上を評してのネーミングだった。」〕〔ポン・フチ, 1949- - Web NDL Authorities(国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス) 〕。後に動物実験反対、原発反対を主張し、更に動物愛護・動物保護・環境保護を訴えた。
== 人物 ==
1949年新潟県生まれ。学園紛争で〔立命館大学文学部哲学科中退〔2009年11月:「野上 ふさ子」さん 今月の対談 株式会社エス・エー・エス〕し、北海道に渡り、アイヌの権利のための〔新左翼活動を行う。野上は“和人”(大和民族)であるが、アイヌ名「ポン・フチ(ポンフチ)」と名乗って1976年にアイヌ民族に関する著作を出し始めた〔地球生物会議ALIVE代表野上ふさ子より これまでの活動のご紹介 地球生物会議ALIVE公式HP 「ALIVE代表よりご挨拶」 「私は、1970年代にアイヌ文化や世界の先住民族の文化を学ぶ機会があり、それらの文化には自然と共存する深い叡智があることを理解しました。そして、それらは忘れさられるべき過去の文化ではなく、新しい時代に引き継ぐべき未来への遺産でもあると考え、アイヌ語を通じてその世界観を見出すべく、20代のときに3冊の著作を出しました。」〕(当時の模様は''アイヌ革命論''を参照)。野上はその後、アイヌ民族活動の仲間と共に、日高横断道路沙流川ダムの建設に反対]]した〔。約10年間、アイヌモシリ(アイヌの大地)に滞在した〔。
1984年、東京でエコロジー社を設立し、エコロジー総合誌「生命宇宙」を創刊〔。エコロジカルな暮らしと世界観をアピールしたが4号で廃刊した。この頃から、動物実験反対を主張する〔。
1986年7月、第14回参院選北海道選挙区で「日本みどりの連合」から出馬し落選〔国政選挙概要:参院選・北海道選挙区 政治情報ドキュメント〕(詳しい選挙結果は55年体制期(第4回から第16回まで))。
1989年7月、第15回参院選全国区比例区に「みどりといのちのネットワーク」から出馬し落選〔国政選挙概要:参院選・全国区比例区(比例区:その他の政党からの立候補者) 政治情報ドキュメント〕。
1991年 - 1992年、リサイクル運動市民の会情報誌「くらしの木」に動物実験について連載〔CiNii 図書 - 新・動物実験を考える : 生命倫理とエコロジーをつないで 〕。これは、1993年に「動物実験を考える」として出版し反響を得る〔。また、1992年公明機関紙に「見えない苦しみ聞こえない叫び--動物実験を考える」とタイトルした、動物実験について告発を連載〔公明 (公明機関紙局) 1992-10|書誌詳細|国立国会図書館サーチ 〕。
1996年後述の内部紛争により動物実験廃止・全国ネットワーク(AVA-net)を設立し、更にNPO法人「地球生物会議ALIVE」を設立。1997年には、AVA-net の代表も兼任した。動物実験反対のみならず、ALIVEの活動の一環で動物園を調査する“ズーチェック運動”をマスメディアを通じ日本に伝えるなど動物権利運動を行い、のちに環境省の「動物愛護管理のあり方検討小委員会」の委員を務めた〔動物愛護管理のあり方検討小委員会委員名簿 環境省(平成23年7月1日現在)〕。
2012年まで日本ペンクラブの環境委員会幹事であり、シンポジウムなどを行った〔「脱原発を考えるペンクラブの集い」を開催 2011年11月16日 日本プレスセンターホール 日本ペンクラブ〕〔日本ペンクラブの委員会活動 会員名簿2012年9月7日現在 日本ペンクラブ〕〔野上ふさ子さん死去 - 新津きよみの書いたり観たり ミステリー作家 新津きよみ(推理作家)〕〔野上ふさ子さん ご冥福をお祈り申し上げます|福島のどうぶつたち がんばってて ごはんをはこぶよ マオアキラ(児童文学・童話作家)〕。
2012年10月10日に乳がんで死亡。63歳没〔地球生物会議代表の野上ふさ子さんが死去 日本経済新聞 2012年10月16日閲覧〕。
2012年12月、自伝『いのちに共感する生き方 人も自然も動物も』(彩流社)が死後出版される。あとがきは死の2日前の日付となっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「野上ふさ子」の詳細全文を読む




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