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野元 昭(のもと あきら、1940年9月30日 - )は日本中央競馬会(JRA)の元騎手、元調教師。おもな管理馬に1991年のエリザベス女王杯優勝馬リンデンリリー、2008年の宝塚記念優勝馬エイシンデピュティがいる。宮崎県出身。長男・野元昭嘉はJRA騎手。 == 経歴 == 1940年、宮崎県北諸県郡の兼業農家に生まれる。日本が太平洋戦争へ向かう時期にあたり、3歳のときには父親が戦死し、以後母子家庭で育った。中学校では器械体操部に所属、のちに騎手・調教師となる橋口弘次郎の伯父が同校で教師を勤めており、その勧めで騎手を志し、中学卒業後に東京都馬事公苑の騎手養成長期課程に第7期生として入所した。おもな同期生には池江泰郎、高橋成忠、吉岡八郎、福永甲、徳吉一己がいる。池江は北諸県郡の別の学校で器械体操部に所属し、これ以前から顔見知りであった。 1957年、京都競馬場・坂本勇次郎厩舎所属の騎手候補生となり、翌1958年より騎手デビューした。翌年には増本勇厩舎(京都)、1969年には松井麻之助厩舎(京都、後に栗東トレーニングセンター)へ移籍している。騎手時代に目立った成績はなく、晩年には甲状腺ホルモンの過剰分泌に由来する病気で長期休養も余儀なくされた。病気の克服後から調教師転身の準備を始め、1979年に調教師免許を取得、これに伴って騎手を引退した。騎手通算成績は2051戦209勝。 1980年、栗東トレーニングセンターに厩舎を開業した。同年10月4日に管理馬ジョーバブーンが初出走、同18日にジョーソレムニスが初勝利を挙げた。1985年、カルストンイーデンが京都大障害(秋)を制し、調教師として重賞を初勝利した。1991年には第16回エリザベス女王杯をリンデンリリーが制し、GI競走初勝利を挙げた。騎乗した岡潤一郎(1993年に殉職)にとっては、最初で最後のGI優勝であった。なお、リンデンリリーは約10か月さかのぼる1月6日、須貝尚介を鞍上に出走した紅梅賞で1位入線しながら、競走中に他馬の進路を妨害したという判定で13位に落とされ、当年より導入された降着制度の適用第1号馬ともなっている。 「エイシン」を冠名とする馬主・平井豊光と関係が深く、平井が栄進牧場を創業したあとは、湯浅三郎、坂口正則、太宰義人とともに主戦厩舎のひとつであった。平井の所有馬では1990年代末からエイシンルーデンス、エイシンビンセンスと重賞勝利馬が相次ぎ、2008年にはエイシンデピュティが春のグランプリ競走・宝塚記念に優勝、自身16年半ぶりとなるGI競走2勝目を挙げた。 2011年2月28日付けで定年のため、調教師を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野元昭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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