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野原 敏雄(のはら としお、1930年8月31日 - )は、日本の経済地理学者、中京大学名誉教授。生活協同組合運動に従事したことでも知られる。 == 経歴 == 愛知県名古屋市に生まれ、育つが、旧制中学1年を終えて、岐阜県に疎開する〔。旧制中学5年を終えたところで家庭の事情により学業を断念し、しばらく家業の手伝いなどをするが、やがて愛知県教育委員会事務局にあった教育文化研究所に事務員として勤めるようになり、逆コースの時期の教育現場の雰囲気に触れる。新制高校卒業の認定試験を受け、岐阜県立大垣北高等学校卒業の資格を認定され、名古屋大学文学部に学んだ〔〔。在学中には自主的に歴史研究会を組織するが、現代農村への関心から、3年次には地理学科へ進学した〔。1956年3月に大学を卒業し、大学院へ進学するとともに、同年9月には、中京商業高等学校(現在の中京大学附属中京高等学校)教諭となった〔〔。 1958年3月に名古屋大学大学院文学研究科(史学・地理学)修士課程を修了し(文学修士)、同年4月に中京大学商学部助手となった。翌1959年、経済地理学の担当として講師となり、1964年に助教授、1969年に教授と昇格した〔。中京大学では、商学部長、大学院商学研究科長、図書館長などを歴任した〔。 1987年7月には、「地域産業の研究」により、名古屋大学から文学博士を授与された〔。 学界では、経済地理学会と日本協同組合学会で多くの役職を歴任し〔、生協運動関係では、中京大学生協理事長や、財団法人生協総合研究所理事なども務めた〔。 1996年3月、選択停年制度により、本来の停年まで5年を残し、65歳で中京大学を退職し、退職後すぐに名誉教授を贈られた〔。大学退職後にも、特定非営利活動法人地域と協同の研究センターセンター長(1995年 - 2006年)、特定非営利活動法人太陽光発電所ネットワーク副理事長(2011年 - )などを務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野原敏雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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