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野原 祐也(のはら ゆうや、1985年1月7日 - )は、ベースボール・チャレンジ・リーグの富山GRNサンダーバーズに所属するプロ野球選手(外野手)、プロ野球コーチ。2013年シーズンより、コーチを兼任する。愛称は「富山のおかわり君」。 2008年までの登録ポジションは内野手だが、外野手での出場も多かった。阪神タイガース時代は外野手としての登録だった。 == 経歴 == 大宮東高校から国士舘大学に進学。大学時代には股関節を故障しNPBのドラフトにはかからなかったが、プロ入りの夢を追い求めてに創設された富山サンダーバーズに入団。入団後は当時同チームのコーチ兼プレーヤーとして籍を置いていた宮地克彦から指導を受けた場面がTBSテレビ『バース・デイ』で紹介された。 サンダーバーズでは1年目から活躍し、7月8日の新潟アルビレックスBC戦ではリーグ初の1試合3本塁打を記録するなど、打のチームである「雷鳥打線」の不動の4番として活躍した。打点はチームメイトの井野口祐介に及ばなかったが打率.412, 14本塁打と2冠王に輝き、MVP(野手部門)に輝いた。しかし、チームは優勝争いしたものの石川ミリオンスターズに敗北し、野原本人も2007年ドラフト会議では指名されなかった。 2年目のはシーズン当初は調子が出なかったが、6月に1号本塁打を放ってからは徐々に調子を上げた。本塁打こそ7本に終わったが、最終的にはリーグ2位の打率.368、リーグ3位の打点45を挙げ、不動の4番としてチームのリーグ優勝に大きく貢献。これが評価され2年連続のMVP(野手部門)に輝いた。同年のドラフト会議において、阪神タイガースに育成枠1位で指名され、11月26日に仮契約した。この時の背番号は123. は育成選手としてスタートしたが、ウエスタン・リーグ59試合で打率.309, 2本塁打、19打点と好調で、7月26日に支配下登録された〔阪神が育成選手の野原祐を支配下登録 日刊スポーツ、2009年7月26日。〕。これに伴い背番号は94となった。阪神タイガースにおいての育成選手からの支配下登録はアーロム・バルディリスに次いで2例目、日本人選手としては初であった。8月にウエスタン・リーグにおいて打率.341, 1本塁打の成績を残し8月度「ミズノ月間MVP」を受賞した。9月9日に初めて一軍昇格。9月12日の対横浜ベイスターズ戦で山口俊から代打でプロ初安打を記録し、翌日の9月13日の試合では、怪我により欠場した赤星憲広にかわり、1番センターでスタメン出場した。 は3月14日の教育リーグ・対中日ドラゴンズ戦で右手首を痛め、5月に手術を受けた〔野原佑、右手有鈎骨形成術受けていた…全治不明 スポーツニッポン、2010年5月20日。〕影響で一軍出場はなかった。この年オフに結婚を発表。翌もわずか4試合の出場で無安打に終わった。 は、二軍では打数は少ないものの打率.386(70打数27安打)、3本塁打、6打点の成績を残したが、一軍では6月に3試合出場のみにとどまり、10月2日、戦力外通告を受けた。 より、古巣である富山サンダーバーズに選手兼任コーチとして復帰〔入団内定選手のお知らせ 2013年2月3日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野原祐也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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