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野口 みずき(のぐち みずき、1978年7月3日 - )は、日本の女性長距離走・マラソン選手である。三重県伊勢市出身。オリンピック・マラソン競技金メダリスト。女子マラソンの日本記録、アジア記録保持者。血液型はO型。身長150cm、体重40kg、左利き。小柄ながらも、強い筋力を生かしたストライド走法の走りが持ち味である。現在の所属はシスメックス株式会社。 == 陸上選手歴 == 中学校1年生から陸上を始めた。宇治山田商業高校時代には3000mでインターハイに出場、駅伝でも活躍した。 1997年にワコールに入社したが翌1998年10月、会社と対立した監督の藤田信之が、真木和ら少数の選手を連れて辞任すると、野口もこれに従った。一時は雇用保険の求職者給付を受けながら現役を続行した。 1999年2月、監督らとともにグローバリーに入社。この年の犬山ハーフマラソンに優勝したのをきっかけに、ハーフマラソンを中心に取り組むようになる。1999年10月の世界ハーフマラソン選手権(パレルモ)では、1時間9分12秒で当時女子マラソン世界記録保持者のテグラ・ロルーペに続く2位に入り銀メダルを獲得、2001年3月の全日本実業団ハーフマラソンで優勝するなどその活躍はめざましく、「ハーフの女王」として知られた。2013年5月の仙台国際ハーフマラソンでの優勝まで、ハーフマラソンでは34戦21勝である。 2000年7月の札幌国際ハーフマラソン・女子の部では、同年9月開催のシドニーオリンピック女子マラソン日本代表に選出された高橋尚子と競り合った。だが野口は終盤で遅れ、高橋が1時間9分10秒で優勝し、野口は1分26秒差の3位だった。のちに高橋はシドニー五輪女子マラソンで陸上競技界において、日本人女性初の五輪金メダルを獲得した事により、野口は「自分も高橋選手のようにオリンピックの女子マラソンで優勝したい」と思うようになる。 2001年6月、将来フルマラソンを走るためのスピード強化の一環として、日本選手権の女子10000mにエントリー。自己記録を更新して3位に入り、同年8月に行われる世界選手権エドモントン大会の代表に選出。その世界陸上女子10000mでは13位に終わったが、この成績から「世界一を狙うならマラソンしかない」との確信を持ち、翌2002年のマラソン初挑戦へと繋がった。 2001年11月、淡路島女子駅伝競走大会(兵庫県)にグローバリー代表(関西地区)として出場。野口は第4区(11.2 km)を区間1位・34分50秒で走り、また同代表チームを総合初優勝に導いた。同年12月の全日本実業団対抗女子駅伝競走大会(岐阜県)への初出場も果たし、野口は第3区(10.0 km)を区間3位・32分21秒で走ったが、同チームは総合5位に留まった。なお、グローバリー代表として同女子駅伝大会の出場は、この2001年が最初で最後となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「野口みずき」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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